高千穂さんのご縁です。高千穂さんのご縁です。

高千穂さんのご縁です。

RKKラジオ

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp▼メールgoen@rkk.jp★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4AM1197で、毎週水曜日午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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エピソード

【成道会特集:お釈迦さまの「中道」を今日に生かす】

【成道会特集:お釈迦さまの「中道」を今日に生かす】

【成道会特集:お釈迦さまの「中道」を今日に生かす】

🔶成道会(じょうどうえ)特集|今回の放送でお伝えしたこと12月8日の成道会に合わせて、お釈迦さまが悟りに到るまでの道のり(四門出遊→出家→苦行と中道→スジャータの乳粥→菩提樹下の成道→初転法輪)を、できごとの順にたどりました。物語としての面白さだけでなく、「いま私がどう生きるか」へつながる視点も添えて解説しています。🔶放送の流れ(ダイジェスト) 1. 出発点:王子シッダールタの不安 ・豊かな生活を送りながらも、心は満たされなかった——ここに「苦(ドゥッカ)」の自覚が芽生えます。 2. 四門出遊:老・病・死・出家者との遭遇 ・老い・病い・死の現実に直面し、「苦を超える道」を探す決意が生まれます。 3. 出家と6年の苦行 ・ストイックな苦行を徹底するも、「苦行そのものでは悟れない」と見切りをつけ、中道へ。 4. 転機:スジャータの乳粥 ・心身を整え、再び“見る力”を取り戻す準備段階。 5. 成道:菩提樹下の瞑想 ・煩悩(誘惑)を見極め、明けの明星のころ「目覚め(ブッダ)」に到達。 6. 初転法輪:鹿野苑で五比丘に説く ・四諦と八正道を示し、仏教の車輪が回り始めます。 🔶放送で押さえたキーワード・ブッダ=「目覚めた人」:新発見ではなく、元からある真理への到達。・中道:快楽と苦行の両極端を離れた実践の道。・四諦と八正道:苦の事実と、その終息に向かう具体的な実践指針。・臘八会(ろうはちえ):多くの寺院で12/8に営まれる成道の法会名。🔶エピソードの読みどころ(番組の視点)・「なぜ“苦行”ではなく“中道”なのか?」——身体をすり減らす修行から、心身を調える実践へ。・「最初に説いた相手が“かつて去った五比丘”である意味」——関係の修復と普遍性の示し。・「科学的知見と信仰的伝承の重ね合わせ」——史実(地名・人名・法要)と伝承(明星・49日瞑想など)を区別して紹介。・「現代への置き換え」——“目の前の苦をどう見るか”“中道を日々の選択にどう落とすか”。🔶放送内の具体例(こんな話をしました)・老・病・死を「見ないままにしない」ことの効用。・SNS時代の“過剰な苦行”と“過剰な快楽”——心身のバランスを取り戻す「中道」のヒント。・仕事・家庭・介護など、揺らぎの中で「いま取れる最善」を選ぶ視点。・“悟りは遠い理想”ではなく、「苦を正しく見る」小さな実践の継続だという提案。🔶今回のまとめ成道会は、「苦」を避けずに見つめ、中道を実践へつなげる日です。四門出遊から初転法輪までの道のりを、歴史と伝承の双方から確認し、今日の暮らしの“選び方”に落とし込みました。🔶次回予告次回は「仏教と人権」。尊厳・平等・差別観と、仏教の視点を重ねてお届けします。🔶出演お話:熊本市中央区京町(きょうまち)・仏嚴寺(ぶつごんじ)高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん進行:丸井純子(まるい じゅんこ)

8分

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【報恩講(ほうおんこう)】とは

【報恩講(ほうおんこう)】とは

【報恩講(ほうおんこう)】とは

浄土真宗で最も大切な年中行事が報恩講です。宗祖・親鸞(しんらん)聖人のご命日にちなみ、仏さまのご恩、そして教えを伝えてくださった先人のご恩に「報(むく)いて恩に謝する」法要として営まれます。🔶日にちと暦を整えます親鸞聖人のご命日:旧暦11月28日(新暦換算では1月16日)。本願寺派(西本願寺)では、宗祖のご命日に合わせて御正忌(ごしょうき)報恩講を1月16日前後に厳修します。真宗大谷派(東本願寺)では、11月21日〜28日に報恩講を営むのが通例です。旧暦(太陰太陽暦)は月の満ち欠けを基本とするため年日が短く、閏月で季節のずれを調整してきました。明治以降は太陽暦(新暦)へ移行し、法要日程の運用に両派の伝統が残っています。🔶報恩講のはじまり第3代本願寺門主・覚如(かくにょ)上人(親鸞聖人の曾孫)が、法要の次第を整えた『報恩講式(ほうおんこうしき)』を撰述。その子の存覚(ぞんかく)上人が内容を整備・普及に尽力しました。第8代・蓮如(れんにょ)上人の時代には、全国の寺院・道場へと広く定着していきます。500年以上に及ぶ歴史をもつ行事です。🔶報恩講で何をするのかお勤め:正信偈(しょうしんげ)などをお唱えします。ご法話:阿弥陀如来の本願と親鸞聖人のご遺徳に学び、念仏の道を確かめ合います。趣旨:供養中心ではなく、恩を知り、恩に報いる仏事として、今を生きる私の聞法(もんぽう)の場であることが要点です。🔶歎異抄の一節を手がかりに親鸞聖人の言行を伝える『歎異抄(たんにしょう)』には、「親鸞は、父母の孝養のためとて、一念一度も念仏申したること候はず」とあります。念仏は誰かのために「してあげる供養」ではなく、阿弥陀如来の働き(本願力)に遇(あ)った私の口からおのずとあふれる称名である、という核心が示されています。生死は無常。だからこそ本願に身をまかせ、今ここで聞法し念仏申す。報恩講は、その原点に立ち返るご縁です。🔶旧暦と新暦のミニ知識旧暦(太陰太陽暦)は1か月を約29.5日と数えるため、354日ほどで1年になり、季節とずれます。ずれを補うため閏月(うるうづき)を置きました。新暦(太陽暦)移行後、本願寺派は新暦1月、大谷派は新暦11月にそれぞれの慣行で報恩講を営んでいます。🔶今週のまとめ報恩講は、親鸞聖人のご命日にちなむ「恩に報いる」法要。起源は覚如上人の『報恩講式』、整備は存覚上人、全国的な普及は蓮如上人。趣旨は供養中心ではなく聞法中心。阿弥陀如来の本願に遇い、念仏の道を確かめるご縁です。暦の違いにより、西本願寺は1月(御正忌報恩講)、東本願寺は11月に営むのが通例です。来週のテーマは「お釈迦さまのお話」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

9分

【お布施のお話(その二)】 地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽に

【お布施のお話(その二)】 地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽に

【お布施のお話(その二)】 地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽に

🔶「お布施(その二)」をやさしく読み解きます今週は、仏教の実践「布施(ふせ)」を前回につづいて深めます。ことば・人名・仏教用語を正しながら、日常に落とし込める形で整理します。🔶布施の語源を正します布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ) の意訳です。「自分の持ち物・力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を指します。なお、日本語の「旦那/檀那(だんな)」は仏教語で、施主・パトロンの意から来ました(関連語:檀家(だんか)・檀越(だんおつ))。浄土真宗では一般に「門徒(もんと)/門信徒」と呼び、「檀家」は用いないのが通例です。🔶六波羅蜜における布施菩薩の六つの修行 六波羅蜜(ろくはらみつ:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の第一が布施です。布施は次の三つに大別されます。 1. 財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力などを分かち合います。 2. 法施(ほうせ):教え・知恵・気づきを分かち合います。 3. 無畏施(むいせ):恐れや不安にある人を安心へ導く支え(傾聴・付き添い・安全の提供など)です。 いずれも見返りを求めない「贈与の心」が核です。 🔶お金がなくてもできる「無財の七施」財産がなくても今日から実践できる布施が、**無財の七施(むざいのしちせ)**です。 1. 眼施(がんせ):温かなまなざしを向けます。 2. 和顔施(わがんせ/和顔悦色施):にこやかな表情で接します。 3. 言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。 4. 身施(しんせ):体を使って手助けします。 5. 心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやりを向けます。 6. 床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、居場所を提供します。 7. 房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・休ませるなど、憩いの場を与えます。 🔶「床座施」を日常に生かしますバスや電車での席を譲ることは床座施の代表例です。要点は次の三つです。・相手の状況(高齢・妊娠・体調等)に気づく眼施をもつ。・和顔+言辞(やわらかな表情と一言)で申し出る。・断られても気を悪くしない(見返りを求めない)。さらに、職場などで役割やポジションを後進に譲る姿勢も、広い意味での床座施です。執着から一歩離れる修行といえます。🔶執着から離れるヒント地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽になります。小さな一歩(席を譲る・順番を譲る・発言枠を譲る)を日々の習慣にすると、心の柔らかさが育ちます。できない日があっても構いません。続けようとする志が、布施のいのちです。🔶今週のまとめ・布施は dāna の訳で、「惜しみなく分かち合う」実践です。・六波羅蜜の第一で、財施・法施・無畏施の三施を含みます。・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。・とくに床座施は、席や役割を譲る実践。執着を離れる小さな歩みが、やさしい社会の土台になります。来週のテーマは「報恩講(ほうおんこう)」のお話です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【お布施のお話(その一)】 お金がなくてもできる「無財の七施」

【お布施のお話(その一)】 お金がなくてもできる「無財の七施」

【お布施のお話(その一)】 お金がなくてもできる「無財の七施」

🔶「お布施(その一)」をやさしく整理します「お布施=お金や物を渡すこと」と思われがちですが、仏教でいう**布施(ふせ)**はもっと広く深い実践を指します。今週は、用語を正しつつ、日常で生かせる形にまとめます。🔶布施の本来の意味布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ)の意訳で、「自分の持ち物や能力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を意味します。見返りや取引ではなく、純粋な贈与の心が要です。🔶六波羅蜜と三種の布施菩薩の修行である**六波羅蜜(ろくはらみつ)**のはじめに置かれるのが布施です。布施には大きく三つあります。財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力を分かち合います。法施(ほっせ):教えや知恵・気づきを分かち合います(僧侶だけでなく、学んだことをやさしく伝える行為全般を含みます)。無畏施(むいせ):不安・恐れにある人を安心へ導く支え(傾聴・寄り添い・安全の提供など)。いずれも「相手の利益(やすらぎ)を願う心」が中心にあります。🔶布施の心得は「見返りを求めない」「これをしたから、相手は返してくれるはず」という計算は布施の心から離れます。結果や評価に執着せず、ただ相手のためにおこなう——その自由さが布施のいのちです。🔶お金がなくてもできる「無財の七施」財産がなくても実践できる布施として、仏教には無財の七施(むざいのしちせ)が説かれます。眼施(がんせ):温かいまなざしを向けます。和顔施(わがんせ)(和顔悦色施):にこやかな表情で接します。言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。身施(しんせ):体を使ってできる助けをします(手伝い・介助など)。心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやり・祈りなど心からの善意を向けます。床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、快適な居場所を提供します。房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・玄関先で休ませるなど、憩いの場を与えます。どれも「今日から・ここで」実践できます。🔶「和顔愛語(わげんあいご)」を合い言葉に和顔愛語とは、柔和な顔(和顔)と愛ある言葉(愛語)で人に接すること。対面でもオンラインでも、誹謗や刺々しさが生まれやすい時代だからこそ、表情と言葉に温度を取り戻すことが無畏施にもつながります。・まずは深呼吸→和顔→ひと言目をやさしく。・相手の事情を慮(おもんぱか)る一拍を置く。小さな実践が、身の回りの空気を確実に変えます。🔶今週のまとめ・布施は贈与の心であり、六波羅蜜の第一。・財施・法施・無畏施はいずれも「相手の安楽」を願う実践です。・結果を求めずおこなうのが布施のいのち。・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。・合い言葉は和顔愛語。顔と言葉から、やさしさを広げましょう。来週も引き続き、「お布施(その二)」をお届けします。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【お手紙の話】浄土真宗とメディア

【お手紙の話】浄土真宗とメディア

【お手紙の話】浄土真宗とメディア

🔶「お手紙(御文章)と本願寺」浄土真宗の教えが全国へ広がる過程で、大きな役割を果たしたのが「手紙」でした。室町期に本願寺の宗主・蓮如上人(れんにょしょうにん)が人びとに向けて書き送った文書は、のちに『御文章(ごぶんしょう)』として編纂され、真宗大谷派(東本願寺)では『御文(おふみ)』とも呼ばれます。ここでは、その要点をやさしく整理します。🔶蓮如上人と『御文章』・著者は浄土真宗本願寺派の第八代宗主・蓮如上人です。・本願寺派では**『御文章』、真宗大谷派では『御文』と呼びます。・門信徒に平易な言葉で教えを伝えるための手紙で、のちに『五帖御文』としてまとめられ、法要やご法話で今も拝読されています。🔶時代背景(室町時代)・寛正(かんしょう)の大飢饉や戦乱で、人びとの暮らしは困窮していました。・識字率が高くない中でも、朗読・回覧に適した平明な手紙が大きな力を発揮しました。・ちょうど宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき)の頃と重なり、教えを正しく広く伝える必要が高まっていました。🔶『白骨の御文』のエッセンス・『御文章』で最も知られる一節が「白骨の御文(はっこつのごもん)」です。・「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となる身なり」と、いのちの無常を示し、阿弥陀如来(あみだ にょらい)の本願に身をまかせ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏して生きる道を勧めます。・現在も法要・通夜・ご法話で拝読され、いまを生きる私に向けた言葉として息づいています。🔶「メディア」としての手紙、そして現代・交通・通信が乏しい時代、手紙(文書)は最強のメディアでした。・一通の手紙を読み聞かせ・回覧することで、非識字層にも教えが届きました。・現代は書籍・新聞・ラジオ・テレビ・インターネットと媒体が移り変わっても、「誰にでもわかる言葉で、いのちの問題に応答する」という蓮如上人の姿勢は変わりません。🔶まとめ・正称は『御文章』(大谷派は『御文』)。著者は蓮如上人(本願寺派 第八代宗主)です。・背景には寛正の大飢饉と宗祖大遠忌があり、平明な手紙が教えの全国的な広がりを後押ししました。・『白骨の御文』は無常の事実を直視し、阿弥陀如来の本願にまかせる念仏の道を示します。・媒体が変わっても、やさしく・正確に伝えることが『御文章』の今日的意義です。来週のテーマは「お布施(その一)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【旅と本願寺】 鉄道の時代が参拝を変えた

【旅と本願寺】 鉄道の時代が参拝を変えた

【旅と本願寺】 鉄道の時代が参拝を変えた

秋は旅に出たくなる季節です。なかでも京都(きょうと)は、今も昔も人びとを惹きつけます。観光地としての賑わいの陰には、「寺院参拝」と「鉄道の発展」が織りなした歴史の流れがありました。今回は、旅の視点から本願寺と京都の関係をたどります。🔶一生に一度の「本山参り」でした江戸時代、多くの庶民にとって移動手段は“徒歩のみ”でした。藩をまたぐ移動も容易ではなく、本願寺への参拝は「一生に一度」の大行事でした。やっとの思いでたどり着き、本堂の畳に頬ずりして喜んだ——そんな記録が各地に残ります。参拝は、信仰の確かめと人生の節目を刻む「旅」でもありました。🔶西本願寺(にしほんがんじ)という「目的地」が育てた旅京都にある西本願寺は、天正19年(1591)に現在地・六条堀川(ろくじょう・ほりかわ)へ移転しました。伽藍の中心は御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂(あみだどう)で、唐門(からもん)・飛雲閣(ひうんかく)などの国宝が建ち並びます。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。“行き先としての魅力”が、遠路はるばるの参拝を後押ししてきました。🔶鉄道の時代が参拝を変えました明治以降、鉄道が全国に伸び、寺社参拝は「現実的な旅程」になりました。寺院参拝は鉄道会社にとっても重要な旅客需要となり、観光旅行が広がります。本願寺で営まれる大規模法要——たとえば宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき/概ね50年ごと)は、全国からの参拝者を呼び込みました。「歩いて一生に一度」から「列車で計画的に」へ。参拝のかたちは、交通の発達とともに大きく変わりました。🔶京都の観光基盤と門前の宿が支えました鉄道網の整備は京都への人流を回復・加速させ、観光都市としての基盤づくりを後押ししました。本願寺周辺には、参拝者を受け入れる門前旅館や講中宿(こうじゅうやど)※が発達。今日ではシティホテルから歴史ある旅館まで選択肢が広がり、海外からの旅行者も伝統的な宿に滞在して文化に触れています。「寺を目的に泊まる」という旅のかたちが、今も息づいています。※講中宿=講(信徒の参拝グループ)を受け入れる宿。🔶数字で見る“いま”の京都(要点)近年の京都は国内外からの旅行者で活気づいています。観光地・宿泊・交通の受け皿が整い、寺院参拝と観光の相乗効果が続いています。かつての「団体参拝の列車旅」から、「個人がネットで計画する旅」へと多様化が進みました。🔶今週のまとめ旅が容易でなかった時代、本願寺参拝は人生を賭す「一度の旅」でした。鉄道の発展は参拝文化を大きく変え、京都という都市の観光振興にも連動しました。本願寺という確かな目的地が、信仰の道行きと旅の楽しみを結び、今に続く人の往来を育ててきたのです。来週のテーマは「お手紙のお話」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【いい日・悪い日】を仏教から見てみると…

【いい日・悪い日】を仏教から見てみると…

【いい日・悪い日】を仏教から見てみると…

🔶「いい日・悪い日」を仏教から見直します「今日は吉日?それとも凶日?」——占いに心が揺れることはあります。仏教、特に浄土真宗の視点では、日を良し悪しで決めつける前に、自分の在り方と他者への配慮を問い直すことが大切だと説かれます。今回は、仏教説話(ジャータカ)を手がかりに、「いい日・悪い日」をどう受け止め直すかを整理します。🔶説話で学ぶ「日取り」の落とし穴都の一家が婚礼当日に占いへ行き、占い師の機嫌を損ねた結果、「今日は不吉、明日にせよ」と言われます。都側は一方的に延期を決め、田舎の花嫁側は約束を守られないまま、その日のうちに別の縁談で嫁入りしてしまいます。翌日、都の一家が迎えに行くも時すでに遅し。口論は取っ組み合いにまで発展します。通りがかった賢者は、「星の動きで事の善し悪しは決まらない。行いそのものが善し悪しを左右する」と諭します。教訓は明快です。占いに依存し、約束や思いやりを後回しにすれば、良いはずの日も悪い日に変わってしまいます。🔶浄土真宗の視点—占いよりも「自省と責任」親鸞聖人は、占いや祈祷に頼り切って判断を委ねる姿を「悲しい人間の性(さが)」として見つめます。星や暦が私たちの価値や結果を決めるのではありません。決めるのは、今この瞬間の選択とふるまいです。「よい日かどうか」は外的条件ではなく、他者を尊び、約束を守り、心を尽くす私の姿勢によって育ちます。不確実な世の中で迷う私を、そのまま見捨てないと誓う阿弥陀さま(摂取不捨)に遇うとき、拠りどころは占いではなく“御恩に報いる実践”へと向きます。🔶「いい日」に変える具体的な視点・約束を最優先にします:相手の準備・時間・期待を尊重することが、日を良いものに変えます。・判断の責任を引き受けます:外部の“お告げ”に逃げず、理由と影響を言語化して自分で決めます。・相手の都合を織り込みます:自分の事情だけで動かず、関係者の事情を事前に確認し合います。・結果ではなく姿勢を整えます:万一、予定外の事態でも、誠実な対応が「悪い日」を「学びの日」に変えます。🔶今週のまとめ占いは参考にはなりますが、拠りどころにはできません。「良い日」は暦が与えるのではなく、約束を守り、他者を思いやり、自ら責任を引き受ける私の行いがつくります。揺れる心をそのまま抱えつつも、摂取不捨のはたらきに遇い、今日を「よく生きる」実践へと転じていきたいものです。来週のテーマは「旅と本願寺」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教SDGs】について 今日からできる“仏教×SDGs”の実践例

【仏教SDGs】について 今日からできる“仏教×SDGs”の実践例

【仏教SDGs】について 今日からできる“仏教×SDGs”の実践例

🔶「仏教とSDGs」をやさしく整理しますSDGs(持続可能な開発目標)は、2015年に国連で採択された17の国際目標です。キーワードは「誰一人取り残さない」。貧困・教育・環境・ジェンダーなど、社会の課題を同時に解いていく視点を求めます。仏教にも、同じ方向を指す考え方が息づいています。ここでは浄土真宗の視点から、SDGsと響き合うポイントをまとめます。🔶SDGsの基本を押さえますSDGsは、国連加盟193か国が合意した“世界共通のものさし”です。目の前の課題だけでなく、その背景・つながり・未来世代まで含めて考えるのが特徴です。行動の理由を問い直し、選択を改善し続ける「学びの循環」が前提になります。🔶仏教と響き合うポイントを確認します浄土真宗には、阿弥陀さまの救いを表す「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という言葉があります。意味は「一切のいのちを摂め取り、決して見捨てない」。まさに“誰一人取り残さない”に通じます。また、龍谷大学が掲げる行動哲学「自省利他」は、自分の在り方を省みつつ、他者の利益・しあわせをはかる姿勢を示します。自己中心の殻を破り、関係の網の目の中で生き直す視点は、SDGsの基盤とよく重なります。🔶近江商人の「三方よし」に学びます近江商人は「売り手よし・買い手よし・世間よし」を商いの規範としてきました。取引当事者の満足だけでなく、社会全体の益を同時に実現する発想です。この精神は、仏教の慈悲や「摂取不捨」と相性がよく、現代で言えばSDGsの先駆けといえます。利益の追求を否定するのではなく、「どうすれば社会の益と調和するか」を問い続けることが要になります。🔶今日からできる“仏教×SDGs”の実践例を挙げます・買い物:価格だけでなく、環境配慮・公平性・作り手の尊厳を意識して選びます。・仕事:自部署の成果が「世間よし」につながる設計かを定期的に振り返ります。・地域:過疎や孤立に目を向け、「取り残されやすい人」への橋渡しを習慣化します。・学び:自分の思い込みを点検し、異なる立場の声を聴く“自省”の時間を持ちます。・お寺:法要や行事を“分かち合いの場”として、食のロス削減やバリアフリーに取り組みます。🔶今週のまとめSDGsは「誰一人取り残さない」世界への約束であり、仏教の「摂取不捨」や「自省利他」と深く呼応します。近江商人の「三方よし」は、個人・組織・社会の益を同時に実らせる道しるべです。まずは足元から。“私の選択”を少しずつ整えることが、持続可能な社会への確かな一歩になります。来週のテーマは「いい日・悪い日」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【仏教とお米】迷信に惑わされずに歩む  一椀のご飯が教えてくれる“いのちのつながり”

【仏教とお米】迷信に惑わされずに歩む 一椀のご飯が教えてくれる“いのちのつながり”

【仏教とお米】迷信に惑わされずに歩む 一椀のご飯が教えてくれる“いのちのつながり”

🔶「仏教とお米」に宿る“いのちへの感謝”秋は実りの季節です。お米をいただくたびに、たくさんの“いのち”のつながりに支えられて生きていることを思い出します。今回は、浄土真宗における「御仏飯(おぶっぱん)」を中心に、お供えの意味や作法、迷信との向き合い方までを整理してご紹介します。🔶御仏飯の意味を学びます御仏飯とは、炊きたてのご飯を仏さまにお供えすることです。「今からいただく食べ物は、私のいのちを生かす尊いご縁です」と確かめ、仏さまの光の中で感謝を表します。浄土真宗では、亡き人への“施し”というより、今を生きる私が“いのちの事実”に気づくためのご縁として大切にします。🔶器と置き方を整理しますご飯を盛る器は「仏器(ぶっき)」といいます。お内仏(仏壇)では、中央の阿弥陀如来、左右の親鸞聖人・蓮如上人の前にお供えします(お家の荘厳により並べ方は異なります)。量は多すぎる必要はありません。まごころをこめた“ひと椀”で十分です。🔶正午までに下げます御仏飯は原則として正午までにお下げします。これは、釈尊の時代から伝わる「過午不食(昼を過ぎて食さない)」の戒めに由来します。お下げした御仏飯は、感謝をもって家族でいただきます。供えたものを無駄にせず、“お下がり”としていただく姿勢が大切です。🔶水と華瓶(けびょう)を整えますコップの水だけを「喉が渇くから」とお供えする考え方は、浄土真宗の趣旨とは少し違います。仏前には一対の「華瓶(けびょう)」を置き、常緑の「樒(しきみ)」を挿します。樒は“香りある清らかな水”を象徴し、仏さまへの敬いと感謝の心をあらわします。🔶“好物のお供え”を考えます故人の好物を供える気持ちは尊いものです。ただし、浄土真宗では亡き人はすでに仏さまです。仏前には基本のお供え(御仏飯・華瓶など)を調え、好物は法要後に参列者でいただくなど、“いのちに感謝して分かち合う”形にするとよいです。🔶避けたい迷信を確認しますご飯に箸を突き立てる、通夜に火を絶やさない“火の番”、葬儀後に塩をまく――これらは地域の俗習・迷信によるところが大きいです。火気のつけっぱなしは危険ですし、恐れや穢れの観念で亡き人を遠ざける発想は、阿弥陀さまの平等の救いにそぐいません。“感謝と念仏”を要に、安心・安全を優先した実践に整えましょう。🔶今日からできる“ひと手順”をまとめます朝、炊きたてのご飯を小さく盛って仏器に供える。一礼し、声に出さずとも「いただきます」と心で称える。正午までにお下げし、感謝をもっていただく。華瓶の樒を清潔に保ち、仏前を整える。迷信で不安にならず、念仏と感謝を深める。🔶今週のまとめ御仏飯は、私たちが“いのちのご縁”に気づき直すための、毎日の小さな礼拝です。お供えは仏さまへのお礼であり、同時に自分自身の心を正す実践でもあります。一椀のご飯から広がるたくさんのつながりに手を合わせ、今日の一日を丁寧にいただきましょう。来週のテーマは「仏教とSDGs」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【月のうさぎ】 自ら火に飛び込んだうさぎの話

【月のうさぎ】 自ら火に飛び込んだうさぎの話

【月のうさぎ】 自ら火に飛び込んだうさぎの話

🔶「月のうさぎ」に宿る布施と慈悲お月見で親しまれる「中秋の名月」には、古くから心を澄ませる時間という意味合いがあります。今回は、月面にうさぎが見えるとされる由来を、仏教説話「ジャータカ(本生譚)」に基づいてわかりやすくご紹介します。月をめでる習わしと、そこに息づく布施と慈悲のこころをたどります。🔶中秋の名月の由来中秋の名月は、中国の「中秋節」を起源とする行事です。旧暦8月15日に月の恵みを喜び、実りに感謝する風習が日本へ伝わりました。日本では平安期に貴族文化として受容され、のちに庶民へ広がりました。お月見団子や秋の収穫物を供えるのは、自然への感謝を形に表す作法です。🔶月のうさぎの仏教的ルーツ月にうさぎがいるという伝承は、仏教の本生譚「ジャータカ」に由来します。お釈迦さまの前世を語る物語群の一つで、うさぎ・猿・山犬・カワウソが登場します。物語は、命を懸けた布施と、戒を守る尊さを伝えます。🔶物語のあらすじ(施しを求める修行者)森に修行者が現れ、動物たちに食べ物の施しを求めます。カワウソは川辺で魚を見つけ、持ち主の不在を理由に持ち帰ります。山犬は番小屋で肉や乳に出会い、応答がないまま持ち出します。猿は木の実を集め、正当に得た食べ物を用意します。🔶物語のあらすじ(うさぎの自己犠牲)うさぎは何も蓄えがなく、施せる食べ物を見つけられません。うさぎは「私をお召し上がりください」と自らを差し出します。修行者に殺生をさせないため、自ら火中へ飛び込む方法を選びます。これは「不殺生」の戒を守るための、徹底した思いやりの表れです。🔶結末と月面に刻まれたしるし修行者の正体は、仏法を守護する帝釈天でした。帝釈天は、うさぎの尊い布施心を後世に伝えるため、月の面にその姿を刻みます。以来、月にはうさぎの姿が見えると語り継がれます。物語は、無私の徳が永く記憶される尊さを示します。🔶物語が語る仏教の徳目うさぎは「布施(与える行い)」を身をもって示しました。修行者に殺させない配慮は「不殺生戒」を尊ぶ態度です。他者の苦を引き受けようとする心は「慈悲」の体現です。形だけでなく、心の在り方にこそ徳行の核心があると物語は教えます。🔶月光が象る智慧と平等の慈悲仏教では、闇を静かに照らす月は「智慧」の象徴と語られます。月光は分け隔てなく万物を照らし、「平等の慈悲」を想起させます。阿弥陀さまの光明になぞらえられ、迷いの闇を導く比喩として親しまれてきました。🔶季節の行事としての実践お月見団子や秋の恵みを供えることは、日々の「いただきます」を深める実践になります。月を仰ぐひとときは、利他心や感謝を見つめ直す時間になります。自然のめぐみに手を合わせる所作が、心の静けさを育てます。🔶今週のまとめ「月のうさぎ」は、自己犠牲的な布施と慈悲の象徴として語り継がれてきました。月光のように、静かで温かな心を忘れず、季節の行事を味わいたいものです。中秋の名月を前に、物語が照らす徳のひかりを胸に刻み直します。🔴来週のテーマは「仏教とお米」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教と火】通夜の晩に「火を絶やすと死者が迷う」は迷信

【仏教と火】通夜の晩に「火を絶やすと死者が迷う」は迷信

【仏教と火】通夜の晩に「火を絶やすと死者が迷う」は迷信

🔶「仏教と火」に息づく光と香りお寺に足を運ぶと、必ずといっていいほど目にする「ろうそく」や「お線香」。これらには、仏教における深い意味が込められています。今回は、「仏教と火」をテーマに、その象徴的な意味や浄土真宗における作法、さらには迷信との違いまで、幅広くご紹介します。🔶ろうそくの火に込められた意味ろうそくの火は、仏さまである阿弥陀如来の「智慧」と「慈悲」を象徴しています。暗闇を照らす明かりは智慧、そして温かさをもつ炎は慈悲のあらわれです。心が氷のように凝り固まってしまっている私たちに、仏さまの知恵と慈悲の光が差し込むのです。🔶ろうそくの色と形の違い日本では江戸時代中期から色付きろうそくの文化が広まり、現在では用途によって様々な色のろうそくが使われています。一般的な白のろうそくは法事などでよく用いられ、赤は浄土真宗で最も重要な行事である報恩講、銀は中陰法要、金は結婚式や住職の就任式など、お祝いの場で用いられます。形状も、まっすぐな棒状のものや、ウエストがくびれた「イカリ型」と呼ばれる形があり、浄土真宗ではこの「イカリ型」が主流です。また、素材には「和ろうそく」と「洋ろうそく」がありますが、お寺ではすすが取りやすいことなどから和ろうそくが使われます。🔶お線香とお香の意味お線香やお香も火を使う仏具の一つです。日本書紀によると、お香は595年にはすでに使われており、悪臭を除き、心を落ち着かせる作用があるとされています。阿弥陀如来の「分け隔てない慈悲の心」を香りによって感じる——そんな意味が込められているのです。🔶浄土真宗の作法と起源お線香の使い方は宗派によって異なります。浄土真宗では、お線香は立てずに横にして供えます。これは、江戸時代以前に使われていた「抹香」の名残であり、抹香を粉状にして横に火をつけていたことが由来です。また、焼香の作法も特徴的です。一礼してから抹香を1回だけつまみ、額にあてずそのまま香炉に入れ、再び一礼します。このように、宗派ごとに異なる作法があるため、自分の信仰する宗派の作法に則って行うのが望ましいでしょう。🔶「火の番」は迷信?かつては通夜の晩に、ろうそくや線香の火を一晩中絶やさない「火の番」が行われていました。その理由は「火を絶やすと死者が迷う」といった迷信に基づいていたのです。しかし、現代では火事のリスクを考慮して、安全性の観点からも火を絶やすことが推奨されます。迷信と現実の区別をしながら、仏教の教えを大切にしたいものです。🔶今週のまとめ今週は「仏教と火」をテーマに、ろうそくやお線香に込められた意味や、浄土真宗における作法、そして迷信との向き合い方についてお話ししました。ろうそくの炎には阿弥陀如来の「智慧」と「慈悲」が表され、色や形には用途ごとの意味があります。お線香やお香には、心を清める香りとしての役割があり、その使い方にも宗派ごとの深い意味が存在しています。日常の中にある小さな「火」のひとつひとつにも、仏教の教えが息づいているのです。来週のテーマは「月の兎」。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【お彼岸のお話】亡き人への祈りであると同時に、今を生きる私たちのためにあるもの

【お彼岸のお話】亡き人への祈りであると同時に、今を生きる私たちのためにあるもの

【お彼岸のお話】亡き人への祈りであると同時に、今を生きる私たちのためにあるもの

🔶お彼岸の心を見つめ直す今年の秋のお彼岸は、9月20日から26日までです。中日(ちゅうにち)にあたる9月23日は「秋分の日」で、祖先を敬い、亡くなった人々をしのぶ日とされています。お墓参りやお寺参りをする方も多いこの期間、「彼岸」という言葉の語源は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」から来ています。これは「悟りの境地に至ること」を意味し、仏教でいう「お浄土(じょうど)」を表しています。🔶太陽が教えてくれる彼岸の意味お彼岸は春と秋にありますが、この時期は太陽が真東から昇り、真西に沈む日です。その太陽の動きに重ねて、西方極楽浄土を思う日とされてきました。つまりお彼岸は、亡き人への祈りであると同時に、私たち自身が仏の教えを聞き、自らの心を見つめる機会なのです。🔶芦屋仏教会館に学ぶ「聞法(もんぽう)」の心昭和2年、兵庫県芦屋に「芦屋仏教会館」という施設が建てられました。これは、大手商社「丸紅」の創業者・伊藤長兵衛氏が私財を投じて建てたものです。伊藤氏は、当初「地域の人に教えを聞いてもらおう」と考えていましたが、仏教学者・梅原真隆先生の「それは違うのではないか」という言葉に戸惑います。伊藤氏は悩んだ末、考えを改め、「この私が教えを聞かせていただく場所として会館を建てよう」と計画を変更。梅原先生はその言葉を聞いて、「その言葉を待っていた」と感動したといいます。今でも芦屋仏教会館は、宗派を問わず多くの人が集う聞法の場として息づいています。🔶亡き人のためでなく、今を生きる私のためにお墓参りやお寺参りは、つい「亡き人のため」と考えがちですが、実は「今を生きる私自身のため」なのだと、仏教は教えてくれます。亡き人や仏さまから「今のあなたを見つめてほしい」という願いが届いている──そのことに気づかされるのが、お彼岸なのです。🔶今週のまとめ今週は「お彼岸の心」をテーマに、芦屋仏教会館と伊藤長兵衛氏のエピソードを通して、「仏教を聞くことの意味」について考えてみました。春分・秋分の日に、太陽が西へ沈む様子を見ながら「極楽浄土」を思う。お寺やお墓に手を合わせるのは、他者のためではなく、自らの心と向き合うため──そんなお彼岸の過ごし方を、あらためて見つめてみてはいかがでしょうか。来週は「仏教と火」というテーマでお届けします。お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん、お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)さんでした。どうぞまた来週。

9分

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【平和を願う心】 ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話 2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した9月11日を前に

【平和を願う心】 ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話 2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した9月11日を前に

【平和を願う心】 ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話 2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した9月11日を前に

🔶平和を願う心は尊い9月11日は、2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した日です。旅客機4機がハイジャックされ、結果的に3,000人以上の命が失われました。この事件は、世界中に大きな衝撃を与えました。事件後は、アラブ系やイスラム教徒への差別や偏見が広まり、空港での人種差別的な扱いや、職場でのいじめ、ヘイトクライムなども発生しました。🔶ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の尊い行動6,438機の飛行機を短時間で安全に着陸させたのは、当時の運輸大臣、ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏でした。事件発生からわずか2時間22分の間に、これほどの機数を無事故で着陸させるという前例のない判断と指導力が発揮されたのです。ミネタ氏は、アラブ系やムスリム系であることを理由にした航空機の搭乗拒否や、人種による選別的な取り扱いを厳しく禁止しました。その背景には、彼自身が太平洋戦争中、日系人であることを理由に強制収容された過去がありました。🔶ミネタ氏の遺したもの2022年、90歳で死去したミネタ氏の功績は、アメリカでも日本でも高く評価されています。アメリカでは、運輸省の入る建物に「ノーマン・Y・ミネタ連邦ビルディング」という名称が冠されました。さらに、駐日米国大使の公邸の一室には「ノーマン・ミネタ・ルーム」という名が与えられ、彼の功績が称えられています。また、出身地であるカリフォルニア州サンノゼの国際空港は、彼の名にちなんで「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と名付けられています。🔶平和を願う心を忘れずに今でも中東では戦争やテロが続いています。平和を願う心、そして差別を許さない心。それを言葉だけでなく行動で示したのがミネタ氏でした。現在の日本はグローバル社会の一員であり、外国人と接する機会も増えています。そうした時代に生きる私たちは、ミネタ氏の姿勢から学び、多様な人々を排除することなく、平和を願い続ける心を大切にしていくべきでしょう。🔶今週のまとめ今週は「平和を願う心」というテーマで、ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話をご紹介しました。日系人として強制収容された経験を持ちながら、差別に立ち向かい、平等と安全を守る行動を貫いたミネタ氏の生き方から、今を生きる私たちも学ぶべきことは多くあります。来週は「お彼岸のお話」です。どうぞお楽しみに。お話は熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん、お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)さんでした。

8分

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【物の見方】 “それってあなたの感想ですよね?” の意味を考える

【物の見方】 “それってあなたの感想ですよね?” の意味を考える

【物の見方】 “それってあなたの感想ですよね?” の意味を考える

🔶今週のテーマは「物の見方」この番組では、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんに、仏教にまつわるさまざまなお話をうかがってまいります。🔶和歌が伝える物の見方の違い「手を打てば鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」という和歌をご紹介します。猿沢の池(さるさわのいけ)は奈良公園にある池です。ある人が手を叩いたところ、鳥は驚いて飛び立ち、鯉は餌をもらえると思って寄ってきた、という情景が詠まれています。同じ行為でも、受け取る側によって反応は異なることを示しています。これは、見るものによって物の見方が異なるという、仏教的な視点に通じています。🔶仏教の教え「唯識(ゆいしき)」とは仏教では「唯識(ゆいしき)」という教えがあります。これは「すべてのものは心の働きによって生じている」という考え方です。たとえば、「一水四見(いっすいしけん)」という例えがあります。水という同じ存在も、見る者によって異なるものに見えるとされます。・人間にとっては、命を支える飲み物・天人(てんにん)にとっては、水晶のような床・魚にとっては住処・餓鬼にとっては燃え盛る炎このように、物の見え方は存在する側の心によって決まるとされているのです。🔶人間の価値観は経験で変わる人間の場合も同じです。生まれ育った環境、教育、経験などによって価値観が形成されます。たとえば、コップに水が半分入っていたとき、「もう半分しかない」と見る人もいれば、「まだ半分もある」と見る人もいます。人は五感を通して物事を認識し、そこに好き嫌いや善し悪しといった価値判断を加えて、自分だけの世界をつくり上げているとも言えます。🔶「それってあなたの感想ですよね?」の意味を考える「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が、最近では子どもでも使うようになりました。しかし、それを言っている本人もまた、自分自身の感想の世界を生きているということを忘れてはいけません。つまり、私たちは誰もが自分の感想というフィルターを通して世界を見ており、その見方に絶対の正解はないということなのです。🔶仏さまは事実をありのままに見通す仏教における「仏になる」とは、自分の都合や感情、価値観から離れて、物事の本質や事実をそのままに見通すことができる存在になるということです。水が半分入ったコップを見て、「半分も」「半分しか」と感じるのではなく、「水が半分入っている」という事実そのものをありのままに見る。これが仏の視点であり、私たちが目指すべき心のあり方でもあります。🔶違いを認めることで穏やかに生きる私たちは完全に仏のような視点を持つことはできませんが、せめて「人によって物の見方は違うのだ」という前提を持つことで、怒りやトラブルを減らすことができるかもしれません。身近な人とであっても、見ている世界が違うことを認め合いながら暮らしていく。その心が、穏やかで平和な毎日を築く第一歩となるのではないでしょうか。🔶今週のまとめ今週は「物の見方」というテーマでお話ししました。「手を打てば鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」という和歌を通して、物の見方は人それぞれであり、それは自分の心の働きによって生じていることを学びました。仏さまはその心の働きから離れ、ありのままの姿を見通す存在です。私たちには難しいことですが、「人によって見方は違う」という前提を持つだけで、心穏やかに生きていく助けになることでしょう。🔵来週のテーマは「平和を願う心」です。どうぞお楽しみに。お話は仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんでした。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【蓮如上人と大阪のご縁】 "大阪の名付け親"とも言われる蓮如上人について

【蓮如上人と大阪のご縁】 "大阪の名付け親"とも言われる蓮如上人について

【蓮如上人と大阪のご縁】 "大阪の名付け親"とも言われる蓮如上人について

🔶 蓮如上人とは浄土真宗本願寺派の第8代門主で、「浄土真宗中興の祖」と称されます。室町時代(1415年~)に生まれ、不遇の幼少期を経て、43歳で本願寺の門主となりました。荒廃していた本願寺を復興し、門信徒を増やしながら教えを広めました。🔶 教えの普及と工夫当時、本願寺は天台宗の傘下で、仏具やご本尊も天台宗の様式でした。蓮如上人はこれを改め、本願寺を浄土真宗の寺として確立されました。民衆にも理解できるよう、教えを簡潔に綴った「御文章」や「名号(阿弥陀仏と書いた紙)」を多数配布しました。読み書きができない人も多い時代に、視覚や口伝を通じて信仰が広まりました。*本願寺派(西本願寺)では「御文章(ごぶんしょう)」、大谷派(東本願寺)では「御文(おふみ)」と呼ぶことが一般的です。🔶 教団の広がりと対立教えは近江(滋賀)を中心に、近畿・東海・北陸などへ急速に広がりました。その影響力の大きさから、天台宗から敵視され、本願寺が焼き討ちに遭うという事件も起きました。その後、越前・吉崎御坊へ移り、そこを拠点としてさらに信仰を拡大しました。ただし、武力と結びついたことで「一向一揆」などの争いも起こり、蓮如上人は吉崎を去り、山科(京都)へ移られました。🔶 大阪との関わり山科本願寺の建立後、蓮如上人は晩年に現在の大阪にも拠点を移し、それが後の「石山本願寺」の基礎となりました。石山本願寺は、のちに織田信長との戦いの舞台となり、退去後は豊臣秀吉によって大阪城が築かれたため、その場所は「大阪城の元になった」とされています。当時「小坂」や「尾坂」などと呼ばれていたこの地に「大坂(のちの大阪)」という名を用いたのが蓮如上人だという説もあります。そのため、蓮如上人は「大阪の名付け親」と称されることもあり、大阪と浄土真宗は今も深い縁で結ばれているのです。🔶 熊本との関係蓮如上人の布教活動により、熊本にも浄土真宗のお寺が多く建立されました。熊本市中央区京町の仏嚴寺も、そうした歴史をもつお寺の一つです。🔶 まとめ蓮如上人は、荒廃した本願寺を再興し、民衆に向けた布教活動を展開された中興の祖です。京都から北陸、そして大阪と、各地を巡って教えを広め、今の浄土真宗の礎を築かれました。「大阪の名付け親」として、都市の成り立ちとも深く関わっています。🔵来週のテーマは「物の見方」です。どうぞお楽しみに。今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。 あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)

8分

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【仏教とご法事】 三回忌は2年後  ご法事は自らの生き方を見つめ直す機会

【仏教とご法事】 三回忌は2年後 ご法事は自らの生き方を見つめ直す機会

【仏教とご法事】 三回忌は2年後 ご法事は自らの生き方を見つめ直す機会

今週も、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さんに、「ご法事」についてお話いただきました。🔶 ご法事とは何かご法事(仏事)とは、仏様の教えに出会う大切な場であり、亡き人のご縁によって縁ある人々が集い、仏様の教えを聞き、お念仏を称える場です。🔶 法事の種類主なご法事には、以下のものがあります:年忌法要(祥月命日):一周忌、三回忌など。月命日法要:毎月の命日のお参り。入仏法要:新たに仏壇を迎えた際の法要。お葬式や初七日、四十九日(中陰)なども法事の一部です。🔶 年忌法要のタイミング一周忌は亡くなった翌年、三回忌は2年後、七回忌は6年後に行います。その後は13回忌、17回忌、25回忌、33回忌、50回忌、さらには100回忌まで続きます。数字から1を引いた年数が、亡くなった年から数えた法要の年になります。🔶 ご法事の意味浄土真宗では、ご法事は供養のためではなく、亡き人をご縁として、私たちが仏様の教えに出会い、お念仏に生きることを再確認する機会です。ご法事を通して、自分自身もやがて命を終える存在であることを知らされ、阿弥陀様のお救いに出会うことができます。🔶 ご法事の三つの出会い参列者との出会い:同じように大切な人を亡くされた人々との共感。亡き人との新たな出会い:仏となった故人が寄り添ってくださる存在となります。阿弥陀様との出会い:仏様の教えとお救いにあう大切な機会です。🔶 ご法事は「誕生日」でもある浄土真宗では、亡くなった日は「浄土に生まれた日」と捉えられます。悲しみだけでなく、仏として生まれる誕生の日としての意味も込められています。🔶 ご法事の継続と意義ご法事は数年に一度、親戚や家族が集まり、亡き人を偲び、子どもたちの成長も感じることができる貴重な機会です。「いつまでやらなければならないのか」と感じることもありますが、それだけ大切な出会いの場であり、成長とご縁を感じる機会です。🔶 まとめご法事は、亡き人を偲び、仏様と出会い、自らの生き方を見つめ直す機会です。ご縁を大切にしながら、仏様のお救いに出会う大切な場であると改めて感じさせてくれます。来週のテーマは「大阪の名付け親 蓮如上人」です。どうぞお楽しみに。――――――――――――――――――――――――今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)

9分

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【戦争と平和】 戦後80年という節目の年 「怨親平等」の心を

【戦争と平和】 戦後80年という節目の年 「怨親平等」の心を

【戦争と平和】 戦後80年という節目の年 「怨親平等」の心を

戦後80年という節目の年にあたる今年、番組では戦争の記憶と仏教の教えから平和について考えます。🔶 サンフランシスコ講和会議と仏教精神1951年、サンフランシスコ講和会議でスリランカ代表のジャヤワルダナ氏は、お釈迦さまの言葉を引用してスピーチを行いました。「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。 怨みを捨ててこそ息む。」スリランカは日本に対する戦後賠償請求を放棄しました。この精神は「怨親平等(おんしんびょうどう)」と呼ばれ、仏教の慈悲の心に基づいた行動でした。🔶 日本と仏教の戦争協力の歴史浄土真宗を含む仏教各宗派は、戦時中に教えを曲げて国家に協力しました。仏教の本来の教えとは異なる方向に進んでしまった過去を、今こそ見つめ直す必要があります。🔶 浄土真宗の平和に向けた声明戦争は命を奪い、命の尊厳を踏みにじる行為。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という親鸞聖人の言葉の通り、私たちは状況次第で争いの加害者にもなり得る存在。だからこそ、同じ過ちを繰り返さないために、状況を作らない努力が必要であると説かれています。🔶 詩「死んだ男の残したものは」から学ぶこと谷川俊太郎さんの詩「死んだ男の残したものは」を紹介。死者が遺したものは、物質ではなく、生き残った私たち自身であること。歴史の犠牲の上にある現在を認識し、二度と戦争を繰り返さないという意志を持つことが重要。🔶 まとめスリランカの怨親平等の実践や、谷川俊太郎さんの詩から、私たちは戦争と平和について深く学ぶことができます。日本が歴史の中で犯した過ちを正しく理解し、語り継ぎ、未来に活かす努力が求められています。平和を守り続けるためには、仏教の教えや宗教心を日常生活の中で大切にしていく姿勢が欠かせません。来週のテーマは「ご法事」。「三回忌はいつ?」という疑問にもお応えしながら、法事についてわかりやすくお話していきます。――――――――――――――――――――――――今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演:お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)

9分

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【戦争と平和】 当時 仏嚴寺も空襲に遭い、ご遺体が運び込まれていた悲しい事実が…

【戦争と平和】 当時 仏嚴寺も空襲に遭い、ご遺体が運び込まれていた悲しい事実が…

【戦争と平和】 当時 仏嚴寺も空襲に遭い、ご遺体が運び込まれていた悲しい事実が…

🔶 お寺と戦争の関わり・昭和17年、戦争のために「金属回収令」が施行され、寺院の梵鐘や仏具も供出を余儀なくされました。・浄土真宗本願寺派の調査によると、当時の約9割の寺院が梵鐘を供出し、戦後に戻ってきたのはわずか5%ほどでした。・梵鐘は溶かされ、戦闘機や爆弾などに使われたとされています。🔶 熊本の空襲とお寺の記憶・熊本市京町にある仏嚴寺も空襲に遭い、近くの気象台に焼夷弾が落ちて犠牲者が出たそうです。・ご遺体が仏嚴寺に運び込まれたこと、機銃掃射による被害の痕跡が額縁に残っていることなど、戦争の記憶が今も語り継がれています。🔶 戦時中の宗教と国家・戦時中、国家による統制のもと、仏教も本来の教えを曲げて国家に奉仕するよう求められました。・浄土真宗もその例外ではなく、信仰と国家政策のはざまで悲しい歴史が刻まれました。・その過ちを繰り返さぬよう、今後も平和の大切さを語り継いでいく必要があります。🔶 戦争の記憶を次世代へ・お寺には戦時中の遺物が多く残されており、当時の生活や悲劇を知る手がかりとなっています。・戦争を経験した世代が少なくなる中、語り継ぎの重要性が高まっています。・戦争の悲惨さを後世に伝え、平和を大切にする社会を築くことが、今を生きる私たちの役割です。🔶 世界の戦争と日本の平和・現在もウクライナや中東など、世界各地で戦争が続いています。・日本は戦争をしない国として、平和を守り育てていくことが大切です。・宗教の視点から、戦争と平和を見つめ直す機会を持つことが求められています。🔶 まとめ・今年は戦後80年を迎えます。・戦争を経験した方の話を直接聞く機会が減っている中で、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継ぐことが重要です。・身近な人々が経験した戦争の話から学び、平和な社会の実現に努めていきたいと感じました。*来週も引き続き、「戦争と平和」をテーマにお届けいたします。――――――――――――――――――――――――この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談を受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)

8分

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【若者と仏教】 意外と若者は仏教に興味がある

【若者と仏教】 意外と若者は仏教に興味がある

【若者と仏教】 意外と若者は仏教に興味がある

🔶 テーマ:「若者と仏教」今週も、福岡県の私立校・筑紫女学園で宗教科教諭を務める小杭浄海(おぐい じょうかい)さんをゲストに迎え、若者と仏教の関わりについて語っていただきました。🔶 現代の若者と宗教の距離NHKや統計数理研究所の調査によると、日本の若者の宗教離れは近年顕著。仏教やお寺に対し、「高齢者のためのもの」という印象を抱く若者も多い。一方で、筑紫女学園では仏教の授業中に寝ている生徒はほとんどおらず、意外に関心があることが分かる。🔶 若者が仏教に興味を示す背景多くの高校生が、身近な人の死などを通して「命」と向き合う経験をしている。自分自身の死についても意識し始める時期であり、仏教で語られる命の話に惹かれる側面がある。「仏教=難しそう・堅苦しい」というイメージはあるが、授業を通じて興味を持ち直す生徒も多い。🔶 授業で使用される教材とアプローチ高校では「見真(けんしん)」という教科書を使用。親鸞聖人が朝廷より賜った「見真大師」の名に由来。難解な文言も多いため、教師が現代の話題や具体例を交えて丁寧に解説。身近な話題と仏教を結びつけることで、生徒の理解を深めている。🔶 宗教教育の意義SNSや科学技術が中心となる現代においても、「命には限りがある」という普遍的事実は変わらない。仏教は「縁起」や「気づき」を大切にし、他者とのつながりや感謝の心を育む。宗教的価値観は、すぐに理解できなくても、大人になってから心に残る教えとなることも多い。若いうちに宗教に触れることは、人間形成の大きな礎となる。🔶 まとめ宗教が若者から遠ざかっている現状がある一方で、仏教的な命の教えには多くの若者が興味を示している。教育現場での宗教授業は、彼らに新たな視点を与え、自らの生き方を見つめる機会となっている。*来週のテーマは「戦争と平和」。引き続き小杭浄海さんとともにお送りします。この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談を受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)ゲスト:筑紫女学園中学高校 宗教科教諭・専念寺 小杭浄海(おぐい じょうかい)

8分

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【仏教と教育】 教育は知識だけでなく、人間としての在り方を学ぶ場

【仏教と教育】 教育は知識だけでなく、人間としての在り方を学ぶ場

【仏教と教育】 教育は知識だけでなく、人間としての在り方を学ぶ場

🔶 テーマ:「仏教と教育」熊本市中央区京町にある仏嚴寺の住職・高千穂光正(たかちほこうしょう)さんと、今週もゲストに福岡県・筑紫女学園中学校・高等学校で宗教の先生をされている、佐賀県の専念寺ご所属の小杭浄海(おぐいじょうかい)さんをお迎えし仏教と教育の関係について紹介。🔶 仏教と教育の歴史的背景江戸時代の「寺子屋」は、庶民が読み書きそろばんを学ぶ場として、お寺が担っていた。明治13年、博多の萬行寺で七里恒順和上による日本初の仏教系「日曜学校」が始まり、全国に広まった。子どもたちに親鸞聖人の教えや阿弥陀如来の救いを伝える目的があった。🔶 仏教教育の特徴命の尊さやつながり(縁起)を重視。「迷惑をかけないように」という道徳的視点に加え、「迷惑をかけながらも支え合って生きている」という仏教的視点を教える。他者に支えられていることへの気づきを通じて、「自分も支える側になる」意識を育む。🔶 まとめ仏教の教えは人との関係性や感謝の心を育む教育の基盤として有効。教育は知識だけでなく、人間としての在り方を学ぶ場でもある。来週のテーマは「若者と仏教」。小杭浄海さんとともに引き続きお送りします。出演:お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子(まるい じゅんこ)ゲスト:筑紫女学園中学高校 宗教科教諭・専念寺 小杭浄海(おぐい じょうかい)――――――――――――――――――――――――今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。

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