高千穂さんのご縁です。高千穂さんのご縁です。

高千穂さんのご縁です。

RKKラジオ

仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。お悩み相談もメールで受け付け中!goen@rkk.jp▼メールgoen@rkk.jp★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4AM1197で、毎週水曜日午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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エピソード

【聖徳太子】──日本仏教の父と「和国の教主」の精神

【聖徳太子】──日本仏教の父と「和国の教主」の精神

【聖徳太子】──日本仏教の父と「和国の教主」の精神

🔶厩戸皇子から聖徳太子へ、激動の時代と仏教伝来近年、学校の教科書などでは当時の名である「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」という表記が増えていますが、没後に「聖徳太子」の諡号(しごう)が贈られたこの方は、日本の仏教史上、極めて重要な人物です。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、太子を「和国の教主(わこくのきょうしゅ)」、すなわち「日本の釈尊(お釈迦さま)」であると深く崇め奉りました。そのため、真宗の寺院の本堂内陣(向かって右側)には必ず聖徳太子の絵像や木像が安置されており、今も大変大切にされています。仏教が日本に伝来した時期には、公伝とされる538年や『日本書紀』に記された552年など諸説ありますが、その少し後の574年、用明天皇の第二皇子として太子は誕生されました。当時は、百済などから伝わった未知の教えである仏教を受け入れるべきか否かという「崇仏論争」が激化していた、まさに激動の時代でした。🔶十七条憲法に込められた「篤く三宝を敬え」の精神わずか20歳で推古天皇の摂政となった聖徳太子は、政治の根本に仏教の精神を据え、国家の基盤づくりに尽力されました。西暦604年に制定された「十七条憲法」の第二条には、「篤く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」と記されています。ここでいう「僧」とは、単に個人の僧侶を指すのではなく、サンスクリット語の「サンガ(ともに仏教を学ぶ仲間の集い・教団)」を意味します。太子は、蘇我馬子(そがのうまこ)らと共に仏教を国教的なよりどころとすることで、人々が争いをやめ、互いを尊重し合える平和な国を目指されたのです。🔶冠位十二階と法隆寺・四天王寺の建立にみる平等思想太子の功績である「冠位十二階」の制定も、非常に仏教的な平等精神に基づいています。それまでの家柄や身分による世襲制を排し、個人の才能や功績に応じて役職(冠位)を与えるというこの制度は、全ての人が平等に仏性(ぶっしょう)を持つという仏教の教えに通じるものがあります。また、父である用明天皇の遺志を継ぎ、推古天皇と共に建立した「法隆寺」をはじめ、日本最古の官寺である「四天王寺」など、多くの寺院を建立されました。この大規模な建築事業の功績から、聖徳太子は現代でも大工や建築職人の世界において「職人の守護神」として尊ばれています。江戸時代には、熊本の細川藩の武家屋敷が建てられた際にも、工事の安全を祈願して聖徳太子像が奉納されるなど、地域を超えた篤い信仰を集めました。🔶烏帽子姿ではない、お寺に伝わる太子の真実の姿かつてのお札に描かれていた烏帽子(えぼし)に笏(しゃく)を持った聖徳太子の肖像画は、後世に描かれたイメージ図です。仏教の世界や古くからのお寺で一般的に安置されている太子の姿は全く異なります。幼少期の姿を描いた、頭髪を左右で結ったお団子のような「角髪(みずら)」姿の像や、わずか2歳の時に東を向いて「南無仏(なむぶつ)」と唱えられたお姿を模した、上半身裸の「南無仏太子像」、16歳の時に父の病気平癒を祈った「孝養(くよう)像」など、多様な重要文化財の姿が今に伝わっています。私たちの仏嚴寺にも、そうした古い歴史を持つ由緒ある聖徳太子像が大切に受け継がれています。🔶今週のまとめ【1】聖徳太子(厩戸皇子)は、親鸞聖人から「和国の教主」と称えられた日本仏教の恩人であり、真宗寺院の本堂にも必ず安置されています。【2】十七条憲法で説かれる「三宝(仏・法・僧)」の「僧」とは、単なる僧侶ではなく、共にみ教えを学ぶ仲間(サンガ)を指しています。【3】冠位十二階の制定や法隆寺・四天王寺の建立には、身分に捉われず人々が共に手を取り合うという仏教の平等精神が活かされています。【4】聖徳太子は建築・大工の世界でも守護神として尊ばれており、熊本の細川藩をはじめ全国各地に太子信仰の形が残されています。【5】お札の烏帽子姿は後世の肖像であり、お寺では幼少期の「南無仏太子像」など、み教えを象徴するお姿で親しまれています。次回テーマは「浄土真宗と聖徳太子(後編)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

8分

【仏教と蓮】──泥中に咲く「妙好人」 み教えの光

【仏教と蓮】──泥中に咲く「妙好人」 み教えの光

【仏教と蓮】──泥中に咲く「妙好人」 み教えの光

🔶泥中から清らかに咲き誇る悟りのシンボル暑い季節を迎えると、水面に美しく大輪の花を咲かせる「蓮(はす)」は、仏教において最も象徴的な植物です。お釈迦さまが誕生されたインドの国花でもあり、仏教では「悟り」や「清らかさ」の象徴とされてきました。蓮は濁った泥の中から茎を伸ばし、泥に染まることなく清浄な花を咲かせます。この姿が、迷いや苦しみに満ちた現実世界(泥)にありながら、それに決して染まらずに清らかな智慧と慈悲(花)を開かせる仏さまの悟りの姿に重ねられているのです。🔶『阿弥陀経』が説く「みんな違ってみんないい」の世界浄土真宗で大切にされる『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』には、お浄土の池に咲く蓮の様子が「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光微妙香潔(ちちゅうれんげ だいにょしゃりん しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃくこう びゃくしきびゃくこうみみょうこうけつ)」と描かれています。青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、それぞれがそのままで輝き、気高い香りを放っています。これは「十人十色」の言葉通り、私たちは誰一人として同じではなく、それぞれが「ありのままの姿」で阿弥陀さまの救いの目当てとなり、お浄土で輝かせていただけるという平等の教えを表しています。🔶衆生を救うために一歩を踏み出す前傾姿勢阿弥陀如来の立像(立ち姿)を拝すると、蓮の花の台座(蓮台)の上で、少し前方に傾いた「前傾姿勢」をとられていることに気づきます。これは、苦しみの中にある私たちを「必ず救い取る、一刻も猶予していられない」と、座って待つことすらできずに、今すぐこちらへ一歩を踏み出そうとされている慈悲の躍動的なお姿を表しています。どんな時でも私の方を向き、至り届いてくださる阿弥陀さまの強いお心が、その立ち姿に具現化されているのです。🔶金子みすゞの詩「蓮と鶏」に響く阿弥陀さまの働き浄土真宗の教えに出会い、お念仏を喜びながら人生を歩んだ人々を、仏教では白い蓮華に例えて「妙好人(みょうこうにん)」と称します。26歳という短い生涯を駆け抜けた詩人・金子みすゞさんもまた、真宗のご門徒の家庭に育ち、その豊かな感性で教えを表現した妙好人の一人といえます。彼女の詩「蓮と鶏(にわとり)」にこうあります。泥の中から蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。卵の中から鳥が出る。それをするのは鳥じゃない。それに私は気がついた。それも私のせいじゃない。蓮が咲くことも、雛が生まれることも、自分の力ではなく自然(じねん)の大いなる働きによるものです。そして「私が今、お念仏を称える身にさせられている」のも自分の力ではなく、前傾姿勢で私を包み込んでくださる阿弥陀さまの「お働き(本願力)」によるご縁だったのだという、深い感謝と喜びがこの詩の背景には息づいています。🔶「さびしいとき」の詩にみる摂取不捨の慈悲もう一つ、彼女の代表的な詩に「さびしいとき」があります。私がさびしいときに、よその人は知らないの。私がさびしいときに、お友だちは笑うの。私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。私がさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。周囲の人がどれだけ寄り添ってくれても、孤独や悲しみを完全に分かち合うことは困難です。しかし、仏さまだけは、私の寂しさをそのままご自身の寂しさとして受け止め、絶対に孤独にはさせない。「摂取不捨(せっしゅふしゃ=おさめとって見捨てない)」という阿弥陀さまの慈悲のぬくもりを、みすゞさんは「ほとけさまはさびしいの」というあまりにも純粋な言葉で表現しました。頭での理解を超え、自らの言葉として阿弥陀さまの真実に出会っていった金子みすゞさんの詩は、今を生きる私たちの心にも、温かい一輪の蓮華を咲かせてくれます。🔶今週のまとめ仏教において蓮の花は、濁った泥の中から清らかな花を咲かせる「悟り」と「清浄」の象徴です。『阿弥陀経』の「青色青光…」の一節は、一人ひとりが個性を保ったありのままの姿で救われていく平等の世界を示しています。阿弥陀如来の立像が前傾姿勢なのは、苦しむ私たちを救うため、今すぐに向かおうとされている慈悲の表れです。真宗門徒であった金子みすゞさんは、お念仏の喜びを詩に託した「妙好人」ともいえる尊い存在です。「蓮と鶏」や「さびしいとき」といった詩の背景には、阿弥陀さまの「お働き」や「摂取不捨」の慈悲が深く息づいています。次回テーマは「聖徳太子(しょうとくたいし)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【雨と仏教】──一水四見の智慧と心の安居

【雨と仏教】──一水四見の智慧と心の安居

【雨と仏教】──一水四見の智慧と心の安居

🔶唯識が説く一水四見の教え仏教の「唯識(ゆいしき)」という思想の中に、「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。これは「一つの水であっても、見る者の立場や境遇によって四つの異なる見え方をする」という意味です。例えば、天上の世界に住む「天人(てんにん)」には美しく透き通った瑠璃(宝石)のように見え、私たち「人間」にはそのままの水に見えます。また、「魚」にとっては大切な住処(すみか)であり、飢えと渇きに苦しむ「餓鬼(がき)」にとっては、燃え盛る炎や恐ろしい膿(うみ)の川に見えるとされています。この教えは、私たちが生きる現代社会にも深く通じています。同じ「雨」であっても、仕事や立場、環境が変われば、その捉え方や意味合いは大きく異なります。私たちは誰もが自分自身の価値観や境遇というフィルターを通して世界を見ており、「私の見えている世界がすべてではなく、他者には全く違う世界が見えているかもしれない」と気づくことが、他者を尊重し共生していくための第一歩となります。🔶雨季の修行から生まれた「安居」の伝統仏教の母国であるインドには、激しい雨が降り続く長い雨季(うき)があります。お釈迦さまの時代、古代の仏教教団では、この雨季の期間は外での移動や修行を行いませんでした。雨季は多くの小さな生き物たちが地表に這い出してくる時期であり、外を歩き回ることで、それらの尊い命を誤って踏み潰してしまう恐れがあったからです。そこで、僧侶たちは一カ所に集まり、外出を控えて熱心に勉強会や修行を行いました。このサンスクリット語で「ヴァルシャ」と呼ばれる雨季の引きこもり修行を、漢字では「安らかに居る」と書いて「安居(あんご)」と言います。現在でも、浄土真宗本願寺派をはじめ日本の多くの仏教教団において、この伝統を受け継いだ安居が開催されており、仏教の歴史の中で学問や教理が深く発展していくための極めて重要な契機となりました。🔶スマホ社会と読書(晴耕雨読)の大切さ雨のために外へ出られない時期は、古くから「晴耕雨読(せいこううどく)」と言われるように、静かに本を開き、学問や読書に励むのに最適な時間です。現代はスマートフォンや電子書籍が非常に便利になり、いつでも手軽に情報を得られるようになりましたが、ともすれば自ら腰を据えて紙の本を読む時間が疎かになりがちです。画面をスクロールしてピンポイントの答えだけを拾い上げるネット検索とは異なり、紙の本をめくる読書には、予期せぬ言葉や思想との豊かな出会いがあります。例えば、紙の辞書を引くとき、目的の単語の周囲にある別の言葉がふと目に留まり、それが新たな知識として蓄積されていくような面白さがあります。雨の季節こそ、デジタルから少し距離を置き、自らの手でページをめくる時間を大切にしたいものです。🔶AI時代の情報収集と自ら考える力近年はAI(人工知能)の進化によって、私たちが検索すらする必要のない時代が到来しています。問いかければ一瞬でデータをまとめ、完璧な文章や原稿を作成してくれる非常に便利なツールです。実際に、日々の正確なデータ整理などにAIを活用することは有意義ですが、すべてを依存してしまうことには危うさも潜んでいます。人間は、どうしても楽な方へと流されてしまいがちな存在です。だからこそ、効率的に得られる答えだけに満足せず、立ち止まって「自分の頭でじっくりと考える」プロセスを失ってはなりません。雨で外に出られない静かな時間は、効率性を求める日常から離れ、自らの内面を見つめ直し、知識を深くインプットするための貴重な「安居」の時間となるのです。🔶多様な視点から仏教を学ぶ読書の歓び読書を通じて見識を広げることは、自分の狭い殻を打ち破るきっかけをくれます。例えば、日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)の代表作である『善の研究(ぜんのけんきゅう)』や、仏教学者であり哲学者でもある鈴木大拙(すずきだいせつ)の著作は、西洋哲学と東洋の仏教思想を対比させながら、深い知恵を私たちに授けてくれます。また、民俗学の創始者である柳田國男(やなぎた くにお)の視点から仏教を紐解くことも、日本人の信仰や生活の根底にある豊かな繋がりを教えてくれます。インターネットの世界は、個人の好みに合わせた情報ばかりが流れてくるため、油断すると自分の思想が凝り固まってしまいます。本という開かれたメディアを通じて、自分とは異なる立場や全く新しい視点に触れること。それこそが、一水四見の教えにあるような「多面的なまなざし」を養い、心を柔軟に保つための素晴らしい営みなのです。🔶今週のまとめ同じ水でも立場によって見え方が変わる「一水四見」の教えは、他者との価値観の違いを理解する智慧を伝えています。インドの雨季に生き物を踏まないよう一カ所にこもった「安居」は、仏教の学問が発展する重要な契機となりました。スマホやAIの利便性に頼りすぎず、雨の時期こそじっくりと読書をして自ら考えるインプットの時間が大切です。西田幾多郎の『善の研究』や鈴木大拙、柳田國男の著作のように、多様な角度から仏教や人間の営みを見つめ直すことが見識を広げます。心の凝り固まりをほぐすために、インターネットの枠を超えて多様な視点や言葉に触れることが現代を生きる支えとなります。次回テーマは「仏教と蓮(はす)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【お寺の掲示板】──門前から響く「現代のメディア」

【お寺の掲示板】──門前から響く「現代のメディア」

【お寺の掲示板】──門前から響く「現代のメディア」

🔶お寺の掲示板の由来と伝道の役割お寺の門前に必ずといっていいほど設置されている掲示板は、単なる行事案内(広報)以上の大切な役割を担っています。これらは「伝道掲示板(でんどうけいじばん)」と呼ばれ、明治時代、浄土宗がキリスト教の熱心な伝道活動に影響を受け、仏教の教えを広く一般に伝えるために始めたのがきっかけといわれています。門信徒のみならず、お寺の前を通りがかる人々の目にも留まるよう、仏教の智慧や心のあり方を短く、鋭い言葉で貼り出したのが、現代の形へと受け継がれました。🔶「輝け!お寺の掲示板大賞」の広がり2018年より、公益財団法人「仏教伝道協会(BDK)」が主催している「輝け!お寺の掲示板大賞」が大きな話題を呼んでいます。SNSの普及により、全国各地のお寺に掲げられたユニークで深い言葉が「バズる」ようになり、ありがたさやインパクト、ユニークさを競うコンテストとして定着しました。これにより、お寺の掲示板は「現代のメディア」として、若い世代を含む幅広い層に仏教の視点を届ける窓口となっています。🔶心に刺さる掲示板の言葉たち昨年の大賞(2025年)に選ばれたのは、鹿児島県南さつま市の浄土真宗本願寺派・顯證寺(けんしょうじ)の言葉でした。「自分ファースト」という貧しさ「自分さえ良ければいい」という独りよがりな心を鋭く指摘し、他者への思いやりを問いかける作品です。また、第1回(2018年)の記念すべき大賞作品は、岐阜県郡上市の願蓮寺(がんれんじ)によるものでした。「おまえも死ぬぞ」釈尊衝撃的な一文ですが、これは初期仏典『相応部経典(サンユッタ・ニカーヤ)』にある「生まれたものが死なないということはあり得ない」というお釈迦さまの言葉を、直截的に表現したものです。限られたスペースで、いかに真理を伝えるかという知恵が凝縮されています。🔶仏嚴寺の掲示板に込める願い私自身、仏嚴寺の掲示板に言葉を書く際は、特に「車からでも読みやすいこと」を意識しています。道路沿いという立地を活かし、大きな文字で、時には漢字一文字でメッセージを届けます。例えば「願(がん)」という一文字を掲げた際は、浄土真宗の根本である「阿弥陀如来の四十八願」や、平和への願いなど、見る人の心に「考察」を促すことを意図しました。かつて祖父が書いた「いのちのびのび」といった、ひらがな主体の柔らかい表現もあり、掲示板にはそのお寺や住職の「カラー」が如実に表れます。🔶門前から始まる仏教との対話お寺の掲示板は、日常生活の中でふと立ち止まり、自分を見つめ直す「心の鏡」のような存在です。最近では切り絵やイラストを添えたり、謎解きのような深い言葉を掲げたりするお寺も増えており、掲示板を通じて住職との対話や交流が生まれることもあります。掲示板の言葉を見て「どういう意味だろう?」と興味を持たれたら、ぜひ気軽にお寺の門を叩いてみてください。その一言が、仏教という深い智慧の世界への入り口になるはずです。🔶今週のまとめお寺の掲示板は「伝道掲示板」と呼ばれ、明治時代にキリスト教の影響を受けて、教えを広めるメディアとして始まりました。「輝け!お寺の掲示板大賞」をきっかけに、ユニークで深い言葉がSNSで注目され、仏教の智慧が身近なものとなっています。顕正寺の「自分ファーストという貧しさ」や願蓮寺の「おまえも死ぬぞ」など、短い言葉の中に仏教の本質が込められています。掲示板は車から見やすい文字の大きさや、見る人が考察できる言葉選びなど、お寺ごとの個性や願いが反映されています。掲示板の言葉をきっかけにお寺に立ち寄るなど、門前を起点とした地域との交流も大切にされています。次回テーマは「雨と、仏教」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【降誕会】──親鸞聖人のご生涯を辿る

【降誕会】──親鸞聖人のご生涯を辿る

【降誕会】──親鸞聖人のご生涯を辿る

🔶降誕会の由来と激動の時代背景5月21日は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご誕生をお祝いする「降誕会(ごうたんえ)」です。聖人は西暦1173年(承安3年)、京都の日野の里(現在の京都市伏見区)にて、日野有範(ひのありのり)卿の長男としてお生まれになられました。当時は平安時代の末期、平家が栄華を極める一方で、大火災や大飢饉、疫病といった自然災害が次々と都を襲った「末法の世」とも呼べる激動の時代でした。🔶比叡山での修行と六角堂の夢告親鸞聖人はわずか9歳で出家され、比叡山へと登られました。以来20年間にわたり、煩悩を断ち切り迷いを超える道を求めて懸命に修行に励まれましたが、どうしても真の悟りを見出すことはできませんでした。29歳の時(1201年・建仁元年)、聖人は比叡山を降り、京都の六角堂に百日間の参籠(さんろう)をされました。その95日目の暁、救世観音(くぜかんのん)の夢告を受け、導かれるように法然上人のもとを訪ねられたのです。🔶承元の法難と越後への流罪法然上人が説く「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えに出会われた聖人は、誰もが等しく救われる道に確信を得られました。しかし当時、この教えは既存の仏教界から異端視され、ついに1207年(承元元年)、「承元の法難(じょうげんのほうなん)」が起こります。後鳥羽上皇の怒りを買った法然上人は土佐へ(後に実質は讃岐)、親鸞聖人は越後(現在の新潟県)へと流罪に処されました。厳しい逆境の中でも、聖人はお念仏の教えを広め続けられました。🔶「非僧非俗」の歩みと恵信尼公との生活越後の地で、聖人は恵信尼(えしんに)公とご結婚されました。当時の僧侶にとって「肉食妻帯(にくじきさいたい)」は許されないことでしたが、聖人はあえて自らを「非僧非俗(ひそうひぞく)」、つまり僧でも俗人でもない立場に置き、民衆と同じ目線で生活を共にされました。食生活や家族を持つことが救いの妨げにはならないというその姿勢は、どのような環境に生きる人々であっても阿弥陀さまの救いから漏れることはないという、教えの真髄を体現されたものでした。🔶関東での布教と九十年のご生涯流罪が許された後、聖人は家族と共に拠点を関東(常陸国など)に移し、20年以上にわたって農民などの庶民にお念仏を伝えられました。その後、60歳を過ぎて京都へ戻られ、1263年(弘長2年)1月16日に90歳でそのご生涯を終えられました。聖人が好まれた「小豆(あずき)」にちなみ、現在も各地の寺院では法要の際に小豆粥やお赤飯が振る舞われています。どのような条件もつけずに「ありのまま」を救い取る阿弥陀さまの慈悲を説き続けた聖人の歩みは、今も多くの人々の心の支えとなっています。🔶今週のまとめ5月21日は親鸞聖人の誕生日を祝う「降誕会」であり、聖人が歩まれた激動の90年を偲ぶ大切な日です。比叡山での20年にわたる修行を経て、六角堂の参籠での夢告をきっかけに法然上人の教えに出会われました。念仏の禁止という「承元の法難」により流罪となりますが、逆境にあってもお念仏の教えを広め続けられました。「非僧非俗」を掲げ、結婚や肉食といった当時の常識を超えて、民衆と同じ目線で生き抜かれたのが親鸞聖人の特徴です。阿弥陀さまの救いは身分や職業によらず平等であるという教えは、今も変わらず私たちの日常に寄り添っています。次回テーマは「お寺の掲示板」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教の旗】──世界を繋ぐ五色の旗印と誓い

【仏教の旗】──世界を繋ぐ五色の旗印と誓い

【仏教の旗】──世界を繋ぐ五色の旗印と誓い

🔶仏旗の由来と国際的な意義仏教には、世界中の仏教徒が共通して掲げる「仏旗(ぶっき)」という旗があります。これは1950年にスリランカで開催された「世界仏教徒連盟(WFB)」の第1回会議において、国際的な仏教の旗として正式に採択されました。お釈迦さまの教えを仰ぎ、仏道を歩む世界中の人々を一つに繋ぐ大切な旗印として、各国の寺院や法要の際などに掲げられています。🔶五色の輝きが表すお釈迦さまの徳仏旗は青、黄、赤、白、橙(だいだい)の五色で構成されており、それぞれにお釈迦さまのすぐれた徳(特徴)が象徴されています。青は「頭髪」の色で乱れのない心を、黄は「身体(金色)」の色で揺るぎない心を、赤は「血液」の色で大いなる慈悲の心を、白は「歯」の色で清らかな心を、そして橙は「聖者の法衣(けさ)」の色で、あらゆる迷いから離れた不動の心を表しています。これらの色が重なり合うデザインには、真理の光が世界を照らす願いが込められています。🔶世界共通の誓い「三帰依文」色とかたちによる象徴が仏旗であるならば、言葉による共通の拠り所が「三帰依文(さんきえもん)」です。「帰依(きえ)」とは、サンスクリット語の「さらな(saraṇa)」の訳語で、「拠り所とする」「全てをお任せする」という意味です。お釈迦さま(仏)、その教え(法)、そして教えを学び伝える集い(僧)の三宝(さんぼう)を敬うこの誓いは、2500年前から変わらぬ仏教徒の入門の言葉であり、世界中どこの寺院でも共通して唱えられています。🔶宗派を超えた仏教徒の連帯世界には多くの宗派があり、長い歴史の中で教えのかたちも多様化してきました。しかし、第二次世界大戦後の1950年、悲惨な戦争を繰り返さないために世界中の仏教徒が協力し合う必要性が叫ばれました。そこで、細かな教えや文化の違いを超えて、「共にお釈迦さまの弟子である」ことを再確認するために定められたのが、この仏旗と三帰依文なのです。これらは、平和への祈りと国際的な協力の精神を象徴する、仏教界の羅針盤といえます。🔶今週のまとめ仏教には「仏旗」と呼ばれる万国共通の旗があり、1950年の世界仏教徒会議で正式に採択されました。旗に使われる五つの色は、お釈迦さまの身体の特徴や徳を象徴しており、それぞれに慈悲や知恵の意味があります。「三帰依文」は仏・法・僧の三宝を拠り所とする誓いの言葉で、世界中の仏教徒が共通して唱えるものです。仏旗や三帰依文の統一は、第二次世界大戦後の平和への願いと、宗派を超えた国際協力の精神から生まれました。考え方や文化が違っても、同じお釈迦さまの教えを歩む旗印を持つことで、私たちは世界と繋がることができます。次回テーマは「降誕会(ごうたんえ)──親鸞聖人のお誕生日」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【現代教育の課題と仏教の役割】──情緒を育む「心の教育」

【現代教育の課題と仏教の役割】──情緒を育む「心の教育」

【現代教育の課題と仏教の役割】──情緒を育む「心の教育」

ゲスト:「terakoya 和多志家(「わたしや)」の蓮田大華(はすだ たいが)さん🔶現代教育の現実と子供たちの自己肯定感現在、不登校の小中学生は約30万人を超え、過去最多を記録しています。これに伴い、日本の子供たちの自己肯定感は先進国の中でも最低水準にあるといわれており、「自分にいいところがある」と思えない子供が増えているのが現状です。学校教育に馴染めず、自分の殻に閉じこもってしまう。そうした子供たちの心の叫びに対し、現代の教育システムがどう応えていくかが大きな課題となっています。🔶デジタル社会とSNSがもたらす影響現代の子供たちは常にデジタルの刺激に晒されています。NTTの調査によれば、小学6年生で約6割、中学生では約9割がスマートフォンを所持しています。SNSは便利である反面、子供には刺激が強すぎ、依存性や「見えないいじめ」の温床となる危険も孕んでいます。オーストラリアやアメリカの一部の州でSNSの利用制限が議論されているように、情報過多な社会の中で、いかに自分を見失わずに生きていくかが問われています。🔶仏教における「情操教育」と「教化」の歩み仏教には、明治時代から続く「少年教化(しょうねんきょうけ)」という長い歴史があります。これは単に知識や作法を教えるのではなく、命の尊さや情緒を育む「情操教育」を指します。お寺で開催される「日曜学校」や「子供会」といった活動は、非日常的な空間でお経を読み、お話を聞き、仲間と交流することを通じて、学校や家庭では得られない豊かな情緒を育む大切な役割を担ってきました。🔶「情緒」と「知性」の優先順位教育において知性を磨くことは重要ですが、蓮田大華さんは「情緒(心の育み)」が先にあるべきだと説いています。何のために勉強するのか。それは自分の心や情操を豊かにし、自分や他者を大切にするためであるべきです。情緒という土台があってこそ、初めて知性は正しく活かされます。AIが正解を提示する時代だからこそ、自らの心で答えを見つけ出すための「心の土台」作りが必要不可欠です。🔶金子みすゞの詩にみる命の多様性浄土真宗の門徒でもあった詩人・金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」という言葉は、仏教の慈悲の心を象徴しています。阿弥陀さまという仏さまは、個々の違いを否定せず、ありのままの姿を丸ごと受け入れてくださいます。それぞれの個性を尊重し、認め合うこと。教育に馴染めない子供たちも含め、あらゆる命がそのままで尊いのだと全肯定する仏教のまなざしこそが、現代教育の閉塞感を打ち破る鍵となるのかもしれません。🔶今週のまとめ現在、不登校の増加や自己肯定感の低下など、子供たちを取り巻く教育環境は深刻な課題に直面しています。SNSの普及による強い刺激や「見えないいじめ」から子供を守るため、大人がそのリスクを理解する必要があります。仏教には「教化」を通じて子供たちの情操を育んできた長い歴史があり、お寺はその拠り所としての役割を持っています。知性を磨くこと以上に、まずは情緒(心)を育むことを優先する教育のあり方が、今の時代には求められています。「みんなちがってみんないい」という教えの通り、個々の違いを認め合い、命を丸ごと肯定する視点が大切です。次回テーマは「仏教の旗」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。ゲストは「terakoya 和多志家(わたしや)」の蓮田大華(はすだ たいが)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教と教育】──寺子屋の精神と二宮尊徳の教え

【仏教と教育】──寺子屋の精神と二宮尊徳の教え

【仏教と教育】──寺子屋の精神と二宮尊徳の教え

ゲスト:「terakoya 和多志家」の蓮田大華(はすだ たいが)さん🔶教育の基盤としての寺子屋文化江戸時代、日本各地に広がった「寺子屋」は、お寺や民家を舞台に、読み書きそろばんといった「実学」を教える地域密着型の教育機関でした。この寺子屋こそが当時の日本の高い識字率を支え、明治5年の「学制(がくせい)」発布以降の近代教育の確かな土台となりました。お寺と教育は、歴史的に切っても切り離せない密接な関係にあり、学びを地域で育む精神は今もなお受け継がれています。🔶改革者としての二宮金次郎(二宮尊徳)教育の現場で親しまれてきた「二宮金次郎」といえば、薪を背負いながら本を読む銅像のイメージが強いですが、彼は生涯で600以上の農村を復興させた偉大な改革者でもありました。金次郎が大切にしたのは、学びと行動を一致させること。単に知識を得るだけでなく、それを身近な人や社会のためにどう活かすかを考える。この「生きた学び」こそが、実学の本質であるといえます。🔶『仏説観無量寿経』にみる独自の解釈二宮尊徳は、浄土真宗で大切にされる『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』の言葉、「光明遍照(こうみょうへんじょう) 十方世界(じっぽうせかい)念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)摂取不捨(せっしゅふしゃ)」を独自に解釈していました。彼はこの「如来の光」を、日々恵みを与えてくれる「太陽」に例えて農民たちに説きました。難しい教理を、農作業に励む人々の生活に即したメタファー(比喩)を用いて分かりやすく伝える。ここにも、学びを生活に結びつける彼の姿勢が表れています。🔶現代に活きる寺子屋式の異学年交流現在、熊本市中央区新大江で「terakoya 和多志家(わたしや)」を運営する蓮田大華(はすだたいが)さんは、学年の枠を超えた教育を実践されています。同じ年齢で区切られる学校教育とは異なり、異なる学年の子供たちが同じ空間で学び合うことで、自然と教え合いやコミュニケーションが生まれます。「誰かに教えること」は最大の学びであり、この伝統的な寺子屋のシステムは、現代においても非常に画期的な学習方法として注目されています。🔶「積小為大」の精神と継続の力二宮尊徳の教えに「積小為大(せきしょういだい)」という言葉があります。小さなことを積み重ね、習慣にしていくことで、やがて大きな事を成し遂げられるという意味です。これは現代の子供たちにとっても、そして私たち大人にとっても極めて大切な視点です。5月23日(土)には、熊本市国際交流会館(または新都心プラザホール)にて映画『二宮金次郎』の上映会も予定されています。彼の生涯を知ることは、私たちの教育や生き方を見つめ直す貴重なご縁となるでしょう。🔶今週のまとめ江戸時代の寺子屋教育は、日本の近代教育の基盤となり、高い識字率と商業の発展に大きく寄与しました。二宮金次郎(尊徳)は、学びを日常生活や社会復帰に繋げる「実学」を重んじた改革者でした。尊徳は『観無量寿経』の教えを、農民に馴染み深い「太陽」に例えて説くなど、独自の柔軟な解釈を持っていました。現代の「寺子屋」的な異学年教育は、教え合う環境を通じて子供たちの心と知識を育む優れた手法です。「積小為大」の教えの通り、日々の小さな積み重ねを大切にすることが、豊かな学びと人生に繋がります。次回テーマは「仏教と現代教育(後編)」です。ゲストの蓮田大華さんと共にお送りします。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。ゲストは「terakoya 和多志家」の蓮田大華(はすだ たいが)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教と言葉】──日常に息づく知恵と語源の妙

【仏教と言葉】──日常に息づく知恵と語源の妙

【仏教と言葉】──日常に息づく知恵と語源の妙

🔶仏教用語禁止クエストにみる言葉の浸透最近、インターネット上で「仏教用語禁止クエスト」というRPGが注目を集めています。これは、選択肢の中に仏教用語が含まれていると即座にゲームオーバーになるという斬新なルールですが、実はクリアするのは至難の業です。私たちが何気なく使う「ウロウロ(うろうろ)」という言葉さえ、煩悩が漏れ出ている状態を指す「有漏(うろ)」という仏教語が語源です。それほどまでに、仏教は私たちの言葉の中に深く浸透しています。🔶隠元禅師がもたらした豊かな食文化食べ物の名前にも仏教の足跡が多く残されています。例えば「インゲン豆」は、江戸時代に中国から来日した黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が日本へ持ち込んだことに由来します。隠元禅師は他にもスイカ、レンコン、タケノコなどを伝え、さらに木魚(もくぎょ)や煎茶の作法である茶礼(されい)を広めるなど、日本の生活文化に多大な貢献をされたお坊さんです。🔶「ありがとう」と「挨拶」に込められた真意私たちが日常で交わす美しい言葉も、その根源をたどれば仏教に行き着きます。「ありがとう」は、『法句経(ほっくきょう)』などに説かれる「人間に生まれることの難しさ」を指す「有り難し」という言葉が語源です。また「挨拶(あいさつ)」は、禅宗の「一挨一拶(いちあいいっさつ)」という言葉に由来します。本来は師匠と弟子、あるいは修行僧同士が言葉や動作によって悟りの深さを試す真剣勝負の場を指していましたが、それが転じて敬意を込めた交流の言葉となりました。🔶現代と仏教で意味が反転する言葉の妙時代とともに、本来の意味とは逆のニュアンスで使われるようになった言葉も少なくありません。「無学(むがく)」は現在では「学問がない」という意味ですが、仏教では「もはや学ぶ必要がないほどの悟りの境地(阿羅漢果)」を指します。また「分別(ふんべつ)」があることは一般に良しとされますが、仏教では物事を主観で区別してとらわれることを意味し、むしろ何にもとらわれずありのままを見る「無分別智(むふんべつち)」こそが尊い知恵であると説かれます。🔶「我慢」と「ご冥福」の本来の捉え方現代では美徳とされる「我慢(がまん)」も、本来は仏教が戒める「七慢(しちまん)」の一つで、自分に固執し他を軽んじる「慢心」を意味します。また、葬儀で使われる「ご冥福を祈る」という表現も、注意が必要です。浄土真宗では「冥福」が指す「冥界(死後の暗い苦しみの世界)」へ行くことはなく、阿弥陀さまの導きで即座に仏とならせていただく(往生即成仏)ため、この言葉は用いず、「お悔やみ申し上げます」と伝えるのが作法です。🔶今週のまとめ「仏教用語禁止クエスト」というゲームが示す通り、私たちの日常会話は意識せずとも仏教用語であふれています。インゲン豆やスイカなどを伝えた隠元隆琦禅師のように、お坊さんは日本の文化や食の発展に大きな役割を果たしました。「ありがとう」や「挨拶」といった言葉には、命の尊さや心の交流を重んじる仏教の精神が宿っています。無学や分別のように、仏教本来の意味と現代の解釈が大きく異なる言葉を知ることで、真理への理解が深まります。我慢や冥福といった言葉の由来を正しく知ることは、自分の心のあり方や、大切な方を送る際の手次ぎを整える助けとなります。次回テーマは「仏教と教育」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【熊本地震から10年】──月明かりに照らされる「救い」の心

【熊本地震から10年】──月明かりに照らされる「救い」の心

【熊本地震から10年】──月明かりに照らされる「救い」の心

🔶2度の震度7がもたらした甚大な被害2016年(平成28年)4月14日午後9時26分、そしてそのわずか2日後の16日未明。熊本を襲ったのは、観測史上類を見ない「2度の震度7」という激震でした。災害関連死を含め276名もの尊い命が失われ、家屋の倒壊や墓石の転倒など、街の景色は一変しました。震災から10年が経過した今、お寺の建物の歪みや修復された墓石を目にするたび、あの時の恐ろしさと震災の爪痕の深さを改めて思い知らされます。🔶SNSの有用性とフェイクニュースの恐ろしさ震災当時、情報のライフラインとなったのがSNSでした。断水時の給水情報や入浴支援など、生活に直結する情報の拡散には目を見張るものがありました。しかしその一方で、ライオンが逃げ出したという虚偽の情報(デマ)が拡散されるなど、情報の真偽が問われる事態も発生しました。混乱の中で何を信じるべきか、SNSの便利さと隣り合わせにある「情報の不確かさ」への危機管理は、現代の防災における大きな課題となりました。🔶法然上人の歌にみる月明かりの慈悲不安な夜、ふと見上げた夜空に輝く月明かりに救われた記憶があります。法然上人が詠まれた「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の心にぞすむ」という歌があります。月明かり(仏さまの慈悲)は、どのような寂しい里にも平等に降り注いでいますが、その光を仰ぎ見る人の心の中にこそ、月は静かに宿ってくださるという意味です。暗闇の中で自分を包み込んでくれる月明かりは、まさに阿弥陀さまの救いの光そのものでした。🔶震災における心のよりどころとしての仏教仏教の教えは、直接的に震災という現実を消し去るものではありません。しかし、どのような絶望の淵にあっても「私を見捨てない仏さまがご一緒である」という確信は、折れそうな心を支える大きなよりどころとなります。目に見える救済だけでなく、目に見えない「心の支え」があることは、人が独りではないと感じ、前を向くための静かな、しかし確かな推進力となるのです。🔶10年を経て語り継ぐ防災とご縁の絆震災から10年が経ち、街は復興が進みましたが、人と人との繋がりの大切さは変わりません。災害を乗り越える力は、日頃からの近所付き合いや地域の絆の中にあります。災害はいつどこで起こるかわかりません。10年という節目に当時の記憶を風化させることなく、常に「防災」の意識を持ち、互いに支え合える「ご縁」を日々大切に育てていくことが、私たちに課せられた大切な役割です。🔶今週のまとめ2016年の熊本地震から10年。2度の震度7という激震がもたらした記憶は、今も私たちの心に深く刻まれています。震災時はSNSが有用な情報源となる一方で、デマの拡散という恐ろしさもあり、情報の扱い方を学ぶ機会となりました。法然上人の歌「月かげの」に象徴されるように、どんな苦難の時でも平等に注がれる仏さまの光が、心の支えとなりました。宗教の役割は、どうしようもない不安に寄り添い、「独りではない」という安心感を人々に届けることにあります。10年の節目に改めて防災の意識を高め、地域の人々との繋がりという「ご縁」を大切にしていくことが、未来への備えとなります。次回テーマは「仏教と言葉(ありがとうの由来)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【花まつり】──お釈迦さまの誕生と「ブルーメンフェスト」の心

【花まつり】──お釈迦さまの誕生と「ブルーメンフェスト」の心

【花まつり】──お釈迦さまの誕生と「ブルーメンフェスト」の心

🔶灌仏会の由来とルンビニの花園4月8日は「花まつり」です。お釈迦さまのお誕生日をお祝いするこの行事は、正式には「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれます。およそ2,500年前、現在のネパールにあるルンビニの花園でお生まれになったお釈迦さまを祝し、色とりどりの花で飾られた「花御堂(はなみどう)」が作られます。天から「甘露(かんろ)の雨」が降り注いだという伝承にちなみ、誕生仏の像に甘茶をかける風習が今に伝わっています。🔶白い象の夢と摩耶夫人の誕生お釈迦さまの誕生には神秘的なエピソードがあります。母である摩耶夫人(まやぶにん)が、白く大きな象が体の中に入ってくる夢を見られ、お釈迦さまを身ごもられたといわれています。お生まれになったお釈迦さまは、すぐに七歩歩まれ、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言葉を発せられました。これは「この世に生きるあらゆる命は、何ものにも代えがたい尊いものである」という、命の平等を宣言されたお言葉です。🔶「花まつり」という名称の意外な歴史お釈迦さまのお誕生日を祝う行事自体は非常に古く、日本では推古14年(606年)に法興寺(ほうこうじ/現在の飛鳥寺)で行われた記録が『日本書紀』に残されています。しかし、「花まつり」という呼び名の歴史は意外にも浅く、明治34年(1901年)にドイツへ留学していた僧侶らが、ベルリンのホテルで開催したのが始まりです。🔶ドイツ語「ブルーメンフェスト」から広まった名称当時、ベルリンに集まった憲法学者の美濃部達吉(みのべたつきち)さんら18名の日本人は、お釈迦さまの生誕を祝う「ブルーメンフェスト(ドイツ語で「花の祭り」)」を開催しました。このイベントがドイツで大いに盛り上がり、大正5年(1916年)に日本でも日比谷公園で大規模な「花まつり」が挙行されたことで、この名称が全国に定着しました。伝統的な仏教行事が、ヨーロッパの文化と交わって新しい名前を得たという非常に興味深い歴史があるのです。🔶宗派を越えた仏教共通の喜び花まつりは、浄土真宗、浄土宗、日蓮宗、禅宗など、宗派の垣根を越えてお祝いできる仏教共通の祭典です。熊本でも、仏教連合会による「稚児(ちご)行列」が下通り・上通りのアーケードで行われるなど、地域に親しまれています。かつて甘いものが贅沢品だった時代、甘茶を分かち合うことは大きな喜びでした。時代は変わっても、甘茶の風味を楽しみながら、お釈迦さまが示された「命の尊さ」に思いを馳せる大切なひとときです。🔶今週のまとめ4月8日はお釈迦さまの誕生日を祝う「花まつり(灌仏会)」で、ルンビニでの誕生を伝えています。お釈迦さまは誕生の際「天上天下唯我独尊」と仰り、すべての命が等しく尊いことを示されました。「花まつり」という名称は1901年にベルリンで開かれた「ブルーメンフェスト」が語源となっています。渡辺海旭和上や美濃部達吉氏らがドイツで始めた祭りが、現在の日本の花まつりのルーツとなりました。宗派を越えて甘茶や稚児行列を楽しみ、命の恵みを分かち合うのが仏教共通の願いです。次回テーマは「熊本地震(発生から10年)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【仏教と桜】──散りゆく姿にみる命の真実

【仏教と桜】──散りゆく姿にみる命の真実

【仏教と桜】──散りゆく姿にみる命の真実

🔶良寛和尚の辞世に見る諸行無常江戸時代の曹洞宗の僧侶であり、歌人としても知られる良寛(りょうかん)和尚の辞世の句に「散る桜 残る桜も散る桜」という歌があります。今を盛りと咲き誇り、枝に残っている桜も、やがては等しく散っていく。この歌は、仏教の根本的な教えである「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を鮮やかに示しています。私たちは今、精一杯に生きていますが、同時に誰もがいつかは命を終えていく存在であることを、散りゆく桜の姿を通して良寛さんは優しく、しかし厳かに語りかけています。🔶親鸞聖人九歳の決意と「仇桜」の歌浄土真宗の宗祖・親鸞(しんらん)聖人は、わずか九歳の春に京都の青蓮院(しょうれんいん)で出家されました。その際、得度(とくど)の儀式の導師を務められた慈円(じえん)和尚が、夜も更けたため「儀式は明日にしましょう」と提案されました。しかし、聖人は「明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠み、今夜のうちの出家を懇願されました。「明日もあると思っているこの心は、嵐が吹けば夜のうちに散ってしまう桜のように儚いものです」という決意は、慈円和尚の心を強く打ち、その夜のうちに儀式が執り行われました。🔶花の終わりを彩る日本語の感性日本語には、花の終わりを表現する独特の言葉が数多く存在します。桜は「散る」、梅は「こぼれる」、椿は「落ちる」、牡丹は「崩れる」といったように、それぞれの花が命を終える姿を繊細に捉えています。これらは単なる自然現象の描写ではなく、命が尽きゆく瞬間にもその個性に合わせた美しい名前を与えようとした、先人たちの深い慈しみの心の表れといえるでしょう。🔶「死」を「往く」と捉える往生の教えでは、人の命の終わりはどう表現されるのでしょうか。「死ぬ」や「終わる」といった言葉がありますが、浄土真宗においては「往(ゆ)く」という言葉を用います。これは「往生(おうじょう)」、すなわち「浄土に往(い)き生まれる」ことを意味します。命が終わればすべてが消えてなくなるのではなく、阿弥陀さまの導きによって仏さまとして新しいステージへと生まれていく。死を「終わり」ではなく、次への「始まり」として捉えるこの教えは、死の恐怖に立ちすくむ私たちに大きな安心を与えてくれます。🔶桜の散り際が問いかける今を生きる姿勢桜の美しさは、その華やかさとともに、潔く散っていく儚さにあります。私たちは一日の終わりを迎えるたびに、確実に人生の最期へと近づいています。しかし、その終わりをただの「消滅」と見るか、お浄土への「往生」と見るかによって、今を生きる心持ちは大きく変わります。散りゆく桜を眺めながら、自らの命の尊さと、阿弥陀さまに抱かれた「必ず救われていく命」であるという喜びに出会ってほしい。桜という花は、そのような問いを私たちに投げかけているのです。🔶今週のまとめ良寛和尚の「散る桜 残る桜も 散る桜」という歌は、すべての命が等しく無常であることを教えています。九歳の親鸞聖人が詠まれた歌は、明日をも知れぬ命の儚さと、今この瞬間に仏道へ進む強い決意を示したものです。日本語には「散る」「こぼれる」「落ちる」など、花の終焉を慈しむ豊かな表現が備わっています。浄土真宗では死を「終わり」とせず、お浄土へ「往(ゆ)く(往生する)」という希望ある言葉で捉えます。桜の散り際を見つめることは、自らの命のあり方に向き合い、仏法に出会う尊いご縁となります。次回テーマは「花まつり」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【仏教と料理】──命の根源を見つめる「お斎(おとき)」の心

【仏教と料理】──命の根源を見つめる「お斎(おとき)」の心

【仏教と料理】──命の根源を見つめる「お斎(おとき)」の心

🔶お釈迦さまと乳粥にみる食の原点仏教において「食」は命の根源であり、悟りへの道とも深く関わっています。かつて過酷な苦行で命を落としかけたお釈迦さまを救ったのは、村娘スジャータが捧げた一杯の「乳粥(ちちがゆ)」でした。この供養によって体力を回復されたお釈迦さまは、極端な苦行では真の悟りを得られないと気づき、中道の教えを見出されました。乳粥という一つの料理こそが、仏教の歴史を大きく動かす原点となったのです。🔶「醍醐味」の語源と仏教の深い縁私たちが日常的に使う「醍醐味(だいごみ)」という言葉は、仏教経典の『涅槃経(ねはんぎょう)』に由来しています。経典では、牛乳を精製する過程を五段階(乳・酪・生酥・熟酥・醍醐)で示し、最後に出来上がる最高級の乳製品を「醍醐」と呼び、それを仏の教えに例えました。また、カルピスの名称も、この最高級の乳漿を意味するサンスクリット語「サルピル・マンダ」を参考にして生まれたといわれており、仏教と食には意外な繋がりがあります。🔶浄土真宗における肉食と親鸞聖人の歩み仏教では不殺生戒(ふせっしょうかい)に基づき肉食を避ける文化がありますが、浄土真宗では伝統的に肉食を禁じてきませんでした。これは、自らの修行や功徳によって仏になるのではなく、阿弥陀さまの無差別な救いの中に生かされているという教えに基づいています。親鸞聖人ご自身も「非僧非俗(ひそうひぞく)」として一般の人々と同じ生活を送り、食の制限を設けませんでした。ちなみに、聖人が好まれたのは「小豆(あずき)」であり、現代でも「御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)」などの法要では伝統的な小豆粥が振る舞われています。🔶仏事の食事「お斎」に込められた意味法事などで供される食事を「お斎(おとき)」と呼びますが、これは本来、僧侶が食事を摂る決まった時間を指す「斎時(さいじ)」に由来しています。私の祖父である高千穂正史(たかちほまさふみ)は、法事の席で「亡き人の思い出を語り合うことこそが、何よりのご馳走である」と説いていました。形としての料理だけでなく、共に亡き人を偲び、命の繋がりを確認するその豊かな時間が、私たちの心を育む糧となるのです。🔶命をいただく感謝の作法と追憶私たちは日々、多くの命に支えられて生かされています。浄土真宗では、食前には「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」と唱え、食後には「尊いいのちを、おいしくいただきました。御報謝(ごほうしゃ)に努めます。おかげでごちそうさまでした」と合掌します。飽食の時代だからこそ、食前食後の言葉を通じ、命への感謝と亡き人への追憶を大切にしていきたいものです。🔶今週のまとめ仏教と食には密接な関係があり、お釈迦さまを救った乳粥は仏教の原点ともいえます。「醍醐味」という言葉は、牛乳の精製過程で最高の味を仏の教えに例えた経典の言葉が語源です。浄土真宗では修行による制限を設けず、ありのままの生活の中で命をいただく感謝を説きます。法事の食事「お斎(おとき)」は、亡き人の思い出を分かち合う「心のご馳走」をいただく場です。食前食後の言葉を通じて、多くの命に支えられている事実を喜び、感謝を深めることが大切です。次回テーマは「仏教と桜」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【春のお彼岸】──「聴く」ことでつながる浄土の心

【春のお彼岸】──「聴く」ことでつながる浄土の心

【春のお彼岸】──「聴く」ことでつながる浄土の心

🔶お彼岸の由来と波羅蜜多の心3月20日の「春分の日」は、お彼岸の中日です。お彼岸の語源は、サンスクリット語の「パーラミター」を音写した「波羅蜜多(はらみった)」であり、「悟りの岸へ至る」ことを意味します。太陽が真東から昇り、真西に沈むこの時期、私たちは西に沈む太陽の姿に「西方浄土(さいほうじょうど)」を想います。科学的な目線を超えて、阿弥陀さまの限りない命と光の救いに心を寄せる、それが浄土真宗のお彼岸の歩みです。🔶外陣の広さにみる「聴聞」の精神浄土真宗の本堂には、阿弥陀さまを安置する「内陣(ないじん)」と、参拝者が座る「外陣(げじん)」があります。特徴的なのは、参拝者が座る外陣が非常に広く造られている点です。これは、お救いの話を聞く「聴聞(ちょうもん)」を何よりも大切にするためです。多くの人が集まり、共に教えを聞くための場所が、お寺の設計そのものに組み込まれているのです。🔶お寺から生まれた落語の伝統お寺の本堂には、僧侶が教えを説くための「高座(こうざ)」や、話を補足するための黒板、マイクが備えられています。実は、日本の伝統芸能である「落語」の起源は、お坊さんの法話にあります。江戸時代の僧侶で「落語の祖」と呼ばれる安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)上人は、法話を基に滑稽な話を生み出しました。寄席の用語である「前座(ぜんざ)」も、法話の前に司会を務める若い僧侶が由来となっています。🔶蓮如上人が説く「聴聞」の極意浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は、『蓮如上人御一代記聞書(れんにょしょうにんごいちだいきききがき)』の中で「仏法は聴聞に極まることなり」と説かれました。聴聞とは、阿弥陀さまの救いのお話を、そのまま真っ直ぐに聞き届けることです。「なぜこの私が救いの目当てとされたのか」という慈悲の物語を繰り返し聞かせていただく「法座(ほうざ)」は、お寺にとって最も重要な場なのです。🔶お墓参りから法話への一歩お彼岸といえばお墓参りですが、それだけでなく、ぜひお寺の本堂で開催される「法話」にも足を運んでいただきたいのです。最近ではお寺の掲示板やSNSで情報を発信する寺院も増えています。亡き人を偲ぶお墓参りという尊いご縁をきっかけに、仏さまの心を聞かせていただく。それが、自分自身の命を見つめ直し、豊かな人生を歩むためのお彼岸の本来の過ごし方といえます。🔶今週のまとめお彼岸はサンスクリット語の「波羅蜜多」を語源とし、悟りの世界であるお浄土を想う期間です。浄土真宗のお寺は教えを聞く「聴聞」を重視するため、参拝者が座る外陣が広く造られているのが特徴です。落語の祖とされる安楽庵策伝上人は僧侶であり、落語の形式や「前座」などの用語はお寺の法話が由来です。蓮如上人は「仏法は聴聞に極まる」と示され、仏さまのお救いをそのまま聞くことの大切さを説かれました。お彼岸はお墓参りだけでなく、お寺で法話を聞くことを通じて仏さまの心に触れる尊いご縁の場です。次回テーマは「仏教と料理」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【3.11 東日本大震災】──「そこにいる」という宗教者の役割

【3.11 東日本大震災】──「そこにいる」という宗教者の役割

【3.11 東日本大震災】──「そこにいる」という宗教者の役割

🔶震災から15年、記憶と現実へのまなざし2011年3月11日、午後2時46分。宮城県三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震は、津波や震災関連死を含め2万2,000人以上の尊い命を奪いました。震災から15年が経過した今なお、福島県の大熊町や双葉町など7市町村には帰還困難区域が残り、避難生活を余儀なくされている方々がおられます。仙台市立荒浜小学校の跡地のように、校舎の2階まで津波が押し寄せた記憶を留める遺構は、私たちに自然災害の脅威と命の重さを静かに語り続けています。🔶心の傷「PTSD」とサバイバーズ・ギルト被災された方々が抱える苦しみは、目に見える被害だけではありません。死の危険に直面した体験が強烈なストレスとなり、悪夢や不安、現実感の喪失を引き起こす「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」に苦しむ方が多くおられます。また、「なぜ自分だけが生き残ってしまったのか」と自らを責める「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」という心の痛みもあります。こうした心の傷は、生活基盤が整い、日常を取り戻し始めた頃に、ふとした拍子に表面化することが少なくありません。🔶臨床宗教師の誕生とその役割震災をきっかけに、公共空間で心のケアを担う「臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし)」という存在が注目されました。これは欧米の「チャプレン(宗教を背景に施設等でケアを行う専門職)」をモデルに日本で生まれたものです。布教や伝道を目的とするのではなく、相手の価値観を尊重しながら、被災された方の悩みや孤独に寄り添います。宗教者の本来の役割は、何かを教え導くこと以上に、苦悩の中にいる方と同じ場所で「ただ、そこにいる」ことにあるのです。🔶「ただ聴く」という寄り添いのかたち被災地における宗教者の主な活動は、相手の話を丁寧に聴く「傾聴(けいちょう)」です。家族を突然失った悲しみ、伝えられなかった後悔、あるいは日常の些細な愚痴。誰にも言えずにいた思いを言葉にすることで、整理のつかない感情が少しずつ和らいでいくことがあります。災害がいつどこで起き、いつ命を落とすかわからないという人間のありのままの現実に直面したとき、宗教者は共に立ち止まり、その苦悩を分かち合う「聴き手」としての役割を担います。🔶カフェ活動を通じた安らぎの提供臨床宗教師の実践の一つに、被災された方々の集いの場となる「カフェ」の活動があります。温かいコーヒーやお菓子を囲みながら、宗教者と住民が肩を並べて語らう場です。つらい記憶を無理に引き出すのではなく、安心して集まれる場所を提供し、対話のきっかけを作ります。誰かに思いを打ち明けられる場があることは、明日を生きていくための小さな、しかし確かな支えとなります。15年という月日が経っても、失われたものは戻りませんが、悲しみを抱えたまま共に歩む営みは続いています。🔶今週のまとめ東日本大震災から15年が経ちますが、今なお震災の記憶と帰還困難区域という現実が残されています。被災地では震災による直接的な被害だけでなく、PTSDやサバイバーズ・ギルトといった心のケアが重要です。臨床宗教師は、布教ではなく公共空間で人々の苦悩に寄り添う、日本版チャプレンとしての役割を担っています。宗教者の役割は、何かを説くこと以上に「そこにいる」こと、そして相手の話を丁寧に聴くことにあります。カフェ活動などの集いを通じて、つらい記憶や孤独を抱える人々の心が和らぐ場を支援し続けることが大切です。次回テーマは「春のお彼岸(おひがん)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

8分

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【学問の起源と「まねぶ」心】──龍谷大学から学ぶ仏教の英知

【学問の起源と「まねぶ」心】──龍谷大学から学ぶ仏教の英知

【学問の起源と「まねぶ」心】──龍谷大学から学ぶ仏教の英知

🔶日本における大学制度の変遷と起源日本の大学の起源は、701年の「大宝律令」にまでさかのぼります。当時は貴族の子弟を対象とした官吏養成機関でしたが、その後、日本最古の総合大学といわれる「足利学校」や、弘法大師空海にゆかりのある「種智院(しゅちいん)」など、多様な教育の場が生まれました。近代に入り、明治19年の「帝国大学令」によって西洋式の大学制度が整えられ、大正7年の「大学令」を経て、現在の私立大学を含む高等教育の枠組みが確立されていきました。🔶現存する最古の大学としての龍谷大学日本に現存する最古の大学は、京都にある「龍谷大学」です。その歴史は江戸時代の1639年(寛永16年)、西本願寺に設けられた「学寮(がくりょう)」に始まります。以来、学林、大教校と名を変えながらも一度も途切れることなく継続され、すべての記録が現存しています。重要文化財に指定されている大宮キャンパスの本館などは、幕末から明治にかけての面影を今に伝えており、学生たちは歴史的な重みを感じながら学問に励んでいます。🔶善導大師の説く「学仏大慈心」の教え浄土真宗の学問の根底には、中国の高僧・善導(ぜんどう)大師が『観経四帖疏(かんぎょうしじょしょ)』の中に記された「学仏大慈心(がくぶつだいじしん)」という言葉があります。これは「仏さまの大慈悲心を学ぶ」という意味です。仏さまの慈悲とは、すべての命を慈しみ、煩悩から解き放って仏にしようと願う心です。この尊いお心を学び、自分自身の指針としていくことこそが、仏教を学ぶ真の意義であるといえます。🔶「学ぶ」の語源に見る真似ることの大切さ「学ぶ」という言葉の語源は、真似をするという意味の「まねぶ」にあるといわれています。私たちは最初から仏さまのような慈悲の心を持つことはできませんが、そのお姿や教えを「真似る」ことから始め、少しずつ自分の中に吸収していきます。これは仏教に限らず、あらゆる学問や技術の習得に通じる姿勢です。先人の知恵や真理を敬い、自らの肉体や行動を通して実践していくことに、学びの本質があります。🔶大学生活という人生のかけがえのない経験大学は単に知識を得る場所だけではありません。親元を離れた一人暮らしや、社会の仕組みを知るアルバイトなど、学生時代のすべての経験がその後の人生の財産となります。仲間と語り合い、汗を流し、時には失敗しながら学んだ人間関係や社会経験は、教室での講義と同じくらい貴重なものです。これから大学を目指す方々には、学問はもちろん、その時期にしかできない多様な経験を宝物にしてほしいと願っています。🔶今週のまとめ日本に現存する最古の大学は、1639年に始まった本願寺の学寮を起源とする龍谷大学です。龍谷大学の大宮キャンパスには、重要文化財に指定された歴史ある学舎が今も残っています。善導大師は「学仏大慈心」と説き、仏さまの慈悲の心を学ぶことの大切さを示されました。「学ぶ」の語源は「まねぶ(真似る)」にあり、仏さまのお心を真似て実践することに学びの意義があります。大学生活における学問や様々な社会経験は、その後の人生を支えるかけがえのない財産となります。次回テーマは「3.11(東日本大震災)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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【卍(まんじ)の意味】──吉兆の印に込められた願い

【卍(まんじ)の意味】──吉兆の印に込められた願い

【卍(まんじ)の意味】──吉兆の印に込められた願い

🔶卍の語源と世界共通の吉兆の印地図記号でお寺を表す「卍」は、単なる記号ではなく「万」という漢字でもあります。そのルーツはインドのサンスクリット語「スヴァスティカ」にあり、幸福や幸運を意味します。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の瑞毛(ずいもう)に由来し、仏教ではお釈迦さまの胸に現れた「吉兆の印」とされています。実はその歴史は極めて古く、ウクライナのメジリチ遺跡(旧石器時代)で発見されたものが最古といわれ、宗教の枠を超えて世界中で用いられてきた根源的な形なのです。🔶日本における歴史と地図記号への定着この印が中国へ伝わると、693年に武則天(ぶそくてん)によって「万(まん)」と呼ぶことが定められました。これは「あらゆる吉祥が集まる」という意味が込められています。日本では、奈良・薬師寺の薬師如来像の足の裏に刻まれているものが現存する最古の例といわれ、1300年以上も前から幸福の象徴として親しまれてきました。明治13年(1880年)には、国土地理院によって正式に寺院を表す地図記号として定められ、今日に至ります。🔶時代を越えて人々を惹きつける形卍は、古今東西を問わず人々を惹きつける魅力を持っています。江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎は、晩年に「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と号しました。また、現代の若者の間でも「マジ卍」という言葉が流行したように、その形や響きには理屈を超えて心に訴えかける力があるのかもしれません。特定の宗派の紋(浄土真宗の「下がり藤」など)とは異なり、卍はお寺全体の共通の印として、世界中の人々に「ここは聖なる場所である」ことを伝えています。🔶「四つのL」で味わう仏さまの働き私の祖父である高千穂正史(たかちほまさふみ)は、卍の形を「四つのL」が組み合わさったものとして味わっていました。一つ目はLove(慈悲)。すべての命を救うという阿弥陀さまの慈愛。二つ目はLife(限りない命)。いつでもどこでも私を支える命。三つ目はLight(限りない光)。どんな暗闇にいても届く仏さまの知恵の光。そして四つ目はLiberty(自由・解放)。迷いやとらわれから解放され、真実の道へと導かれる自由です。🔶仏さまの働きを象徴する卍卍という形には、これら「Love、Life、Light、Liberty」という仏さまの命の働きが凝縮されています。それは私たち一人ひとりに向けられた、限りない救いのエネルギーの象徴です。お寺の門前で卍のマークを見かけたときは、それが単なる記号ではなく、太古の昔から人類が願い続けてきた「幸福への祈り」であり、今ここにある私を包み込む「仏さまの慈悲の働き」そのものであることを思い出していただければと思います。🔶今週のまとめ卍はお寺の地図記号であるだけでなく、サンスクリット語の「幸運」を語源とする漢字です。その歴史は古く1万年前の遺跡からも発見されており、世界中で吉兆の印として用いられてきました。日本では薬師寺の如来像に刻まれたものが最古とされ、1300年以上前から幸福の象徴とされています。高千穂正史和上は、卍をLove(慈悲)、Life(命)、Light(光)、Liberty(自由)の「四つのL」として味わいました。卍の形には、私たちを救いへと導く仏さまの多面的な働きが象徴されています。次回テーマは「学問(日本最古の大学)のお話」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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【山本仏骨和上の生涯】──母の言葉に導かれた念仏の道

【山本仏骨和上の生涯】──母の言葉に導かれた念仏の道

【山本仏骨和上の生涯】──母の言葉に導かれた念仏の道

🔶浄土真宗における呼び名と学階制度浄土真宗では、僧侶を「和尚(おしょう)」と呼ぶことは少なく、一般的には「住職」や「ご院家(ごいんげ)」、親しみを込めて「おっさん(御師さん)」などと呼びます。また、お寺の跡継ぎのことは「新発意(しんぼち)」と呼ぶ独特の習慣があります。こうした呼び名の一方で、学問を深く修めた僧侶には「学階(がっかい)」という位が授けられます。最高位の「勧学(かんがく)」やそれに次ぐ「司教(しきょう)」といった方々は、教えを導く立場として「和上(わじょう)」と敬称されます。本願寺派の僧侶約3万人の中で、この高位にある方はわずか30数名という、非常に厳しい研鑽を積まれた方々です。🔶勧学・山本仏骨和上の歩み今回ご紹介する山本仏骨(やまもとぶっこつ)和上は、1910年(明治43年)に石川県の一般家庭に生まれました。お寺の出身ではないながらも、最終的には龍谷大学教授を務め、最高位の「勧学」にまで昇り詰められた、現代浄土真宗を代表する高僧の一人です。しかし、その人生は波乱に満ちたものでした。正規の教育は小学校までという厳しい逆境の中から、仏道への道を切り拓いていかれたのです。🔶スペイン風邪の惨禍と母の遺言山本和上が幼い頃、世界中で「スペイン風邪」が猛威を振るい、当時の世界人口の約3分の1が感染するという未曾有のパンデミックが起こりました。和上の家庭も例外ではなく、父と5人の兄弟を次々と亡くし、最後には母も病床に伏しました。見舞いに訪れた人々が、残される幼い我が子を案じて涙する中、お母様は「私は死んでもこの子から離れません。お浄土へ参らせていただき、そこからこの子を生涯守り続けます」と、明るい声で言い残されたといいます。🔶逆境の中で支えとなった母の眼差し母を亡くした後、和上は親戚の家に預けられ、子守などの奉公をしながら少年時代を過ごしました。同年代の子供たちが中学校へ通う姿を見て、進学できない自分を嘆き、悔し涙を流す日々もありました。しかし、そんな時にいつも思い起こされたのが、死の淵にありながら「お浄土から見守っている」と語った母の言葉でした。その言葉が、絶望の淵にあった和上の心を支え、学問の道、そして仏道へと突き動かす大きな力となったのです。🔶終わりなき命の繋がりと念仏の喜び山本和上の人生を導いたのは、極限の状態にあってもお念仏を喜び、救いの中に生きたお母様の姿でした。死は決して断絶ではなく、阿弥陀如来のお浄土において「仏」となり、今を生きる私たちを支え続ける働きとなる──。このお母様の確信は、まさに浄土真宗が説く「あらゆる命を救い取って捨てない」という阿弥陀如来の慈悲そのものでした。和上の功績は、この温かな命の繋がりを、自らの生涯をかけて証明し続けた点にあるといえるでしょう。🔶今週のまとめ山本仏骨和上は、一般家庭の出身から本願寺派の最高学階「勧学」に至られた、近代を代表する高僧です。浄土真宗では師弟子という壁を作らず、学問を修め教えを導く指導者を「和上」と敬意を持って呼びます。幼少期にスペイン風邪で家族のほとんどを失い、小学校卒という境遇から苦学の末に龍谷大学教授となられました。死を目前にしたお母様の「お浄土から生涯守り続ける」という言葉が、和上の生涯を支える光となりました。お母様が示された念仏の姿は、死を超えて続く阿弥陀如来の救いと命の繋がりを物語っています。次回テーマは「卍(まんじ)の意味」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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【涅槃会】──お釈迦さまの入滅と「救い」のかたち

【涅槃会】──お釈迦さまの入滅と「救い」のかたち

【涅槃会】──お釈迦さまの入滅と「救い」のかたち

🔶涅槃会の由来とニルヴァーナの意味2月15日は「涅槃会(ねはんえ)」です。これは、仏教の開祖であるお釈迦さまが入滅(にゅうめつ)、すなわちその生涯を終えられた日の法要を指します。涅槃とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」といい、もともとは「火を吹き消すこと」を意味します。私たちの迷いである「煩悩の火」を吹き消した悟りの境地のことであり、中国では「滅度(めつど)」とも訳されました。🔶お釈迦さまのご生涯と最後のお食事お釈迦さまは29歳でご出家(しゅっけ)され、35歳で悟りを開かれました。それから45年間にわたり「み教え」を説き続け、80歳で入滅されました。今から約2,500年前、日本でいえば縄文時代のことです。お釈迦さまが亡くなられた原因は食中毒であったといわれ、経典『涅槃経』には「スカーラ・マッダヴァ(柔らかい豚、あるいはキノコ料理の意)」を召し上がったと記されています。当時の僧侶は、信徒から供えられたものは肉であってもいただくのが作法であり、その伝統は現在も東南アジアの上座部仏教などに引き継がれています。🔶涅槃図にみる「北枕」と約束事お釈迦さまが入滅される様子を描いた「涅槃図(ねはんず)」には、いくつもの約束事があります。お釈迦さまは頭を北にし、西を向き、右脇を下にして横たわっておられます。これを「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)」といい、現代の「北枕」の由来となりました。本来、これはお釈迦さまの尊いお姿に倣ったものであり、決して縁起が悪いものではありません。また、図には満月と8本の沙羅双樹(さらそうじゅ)が描かれ、教えが不滅であることを象徴しています。🔶生きとし生けるものとの別れと摩耶夫人涅槃図にはお弟子さんだけでなく、馬、猿、象といったありとあらゆる生き物たちが集まり、お釈迦さまの死を嘆き悲しむ姿が描かれています。一説に「猫」が描かれないのは、お釈迦さまへの薬を運ぶネズミを猫が捕まえてしまったからだという逸話もあります。また、空の上からはお釈迦さまの母である摩耶夫人(まやぶにん)が、天女とともに亡き息子のもとへ駆けつける姿が描かれており、一切の命がお釈迦さまを慕う様子が表現されています。🔶入滅という「方便」が示す導きお釈迦さまが亡くなられたことは、単なる命の終わりではありません。仏教ではこれをお釈迦さまが私たちに示された「方便(ほうべん)」、つまり救いのための導きであると捉えます。生死(しょうじ)を超えた悟りの境地を、自らの生涯をもって示されたのです。涅槃会という日は、お釈迦さまを偲ぶとともに、時代や宗派を超えて、私たちが本来出会うべき「救い」と「命のありよう」を改めて見つめ直す大切なご縁となります。🔶今週のまとめ2月15日は涅槃会。お釈迦さまが80歳で入滅された日を偲ぶ、仏教において極めて大切な法要です。涅槃(ニルヴァーナ)とは「煩悩の火を吹き消した状態」を指し、仏さまの悟りの境地を意味します。涅槃図に描かれたお釈迦さまのお姿は、現代の「北枕」の由来となった尊い形です。涅槃図にはあらゆる動物や天界の摩耶夫人までが登場し、お釈迦さまとの別れを惜しむ姿が描かれています。お釈迦さまの入滅は、私たちに命の真実と救いのかたちを指し示す尊い「方便」でもあります。次回テーマは「山本仏骨(やまもと ぶっこつ)和上」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

9分

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【動物と仏教】──身近な命との向き合い方

【動物と仏教】──身近な命との向き合い方

【動物と仏教】──身近な命との向き合い方

🔶ペットという身近な命とのご縁現在、日本で飼育されている犬猫の合計数は約1,600万頭にのぼり、15歳未満の子どもの数(約1,435万人)を上回っています。それだけ動物という存在は、私たちの日常生活において身近な「命のご縁」となっているのです。仏教の視点から動物を考えるとき、そこには「迷いの中に生きる存在」という厳しさと、「尊い平等な命」という慈しみの両面が見えてきます。🔶六道輪廻における畜生道という世界仏教には、迷いの世界を六つに分けた「六道輪廻(ろくどうりんね)」という教えがあります。動物は「畜生道(ちくしょうどう)」に分類され、本能(欲)のままに生き、楽しみが少なく苦しみが多い世界とされています。これを「愚鈍(ぐどん)に生きて真理を知らない」という意味で「愚痴(ぐち)」とも呼びます。人間とは異なる迷いの形を生きる存在として、まずはその違いを見つめる立場があります。🔶シビ王の物語にみる命の平等一方で、動物を人間と「同じ救いの対象」として尊ぶ見方もあります。古くから伝わる「シビ王(しびおう)」の物語では、タカに追われたハトを救うため、シビ王が自らの肉を切り、ハトと同じ重さ分をタカに与えて両者の命を救いました。これは「命の重さに人間も動物も区別はない」という仏教の平等観を象徴しています。命に優劣をつけない、慈悲のまなざしがここにあります。🔶親鸞聖人が説く命の繋がり浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、著書『歎異抄(たんにしょう)』の中で「一切の群生(ぐんじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟(きょうだい)なり」と述べられました。生きとし生けるものは、幾度も生まれ変わりを繰り返す中で、かつて自分の父母であり兄弟であったかもしれない存在だという教えです。目の前の動物を、他人事ではない深い縁(えにし)ある命として受け止める姿勢を説いています。🔶他の命に支えられているという自覚私たちは、他の命をいただくことで生かされています。詩人の金子みすゞさんは、その詩「大漁」の中で、浜が祭りのように湧く一方で、海の中では何万ものイワシの弔いがあるだろうと詠みました。近年注目される「アニマルウェルフェア(動物福祉)」の考え方も、単なる愛護にとどまらず、私たちの生活を支えてくれる動物たちのストレスを減らし、尊厳を守る取り組みです。こうした具体的な配慮の中に、平等を育てる一歩があります。🔶今週のまとめ現代社会において、動物は子どもより数多く存在するほど、人にとって身近な命のご縁となっています。仏教では動物を「畜生道」という迷いの存在と見る一方で、等しく尊い平等な命としても捉えます。親鸞聖人は「すべての命はかつての父母兄弟である」と説き、命の境界を超えた繋がりを示されました。私たちは他の命に支えられて生きていることを自覚し、動物への配慮や制度づくりに関心を持つことが大切です。阿弥陀如来の救いはすべての命に届いており、共に仏となる道を歩む「いのち」であることを忘れてはなりません。次回テーマは「繁栄(はんえい)」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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