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東京大空襲は太平洋戦争(第二次世界大戦)末期に、アメリカにより行われた東京都区部に対する大量無差別の航空爆撃作戦。東京は100回を超える空襲を受け、特に1945年3月10日になされた夜間空襲は大規模のものとなり、この日だけで9万5千人を超える方が亡くなり、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ、太平洋戦争中の日本における大戦災となりました。6歳の時東京大空襲に遭った藤間宏夫さん。今年(2023年)で85歳を迎えます。両親が制服やランドセルなどを準備し、入学の日を待ちわびていたそのとき東京大空襲に見舞われました。爆撃機B29が約300機も襲来し、数多くの焼夷弾を上空から投下され東京下町は焦土化。藤間さんは、家族と火傷を負いながらも逃げ続けました。親戚の家に身を寄せ生活し始めたものの、再び空襲に遭い生活排水が流れるドブの中に避難。九死に一生を得ます。その後、静岡県牧之原に疎開した先でも空襲に襲われ、生きていくのがやっとでした。 8 月15日、昭和天皇による玉音放送を聴き、憤りを覚えた藤間さん。「家が消失してしまったのになぜだ!」「幼友達が死んでしまったのになぜだ!」「近所の小母さんらが死んだのになぜだ!」唇をかみしめ、心の中で叫び続けました。藤間さんが空襲体験を語り始めたのは78歳の時。それまでは戦争体験は思い出したくない、語りたくない出来事でした。戦争を知らない人たちが増えていくなか、その事実を知らないがため平和を手放してしまう危険が迫っていることを感じ、自身に「事実を伝える責任」があることを受け入れました。いまも「東京大空襲・戦災資料センター」を中心に、自身の体験を語り講演も行っている藤間さん。国民・市民が戦争に巻き込まれることがないよう、どんな理由があっても戦争を起こしてはならないと訴え続けています。
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