「ガチャン ガチャン」…インクの香りが漂い、古い印刷機の心地よい音が響く印刷所。1972年に創業した、福岡市城南区鳥飼にある街の印刷屋さん「文林堂」。店主の山田善之さん(84)はエプロン姿で鼻歌まじりに今日もニコニコ仕事をする。 山田さんは幼い頃から印刷業だった父親の手伝いで活版印刷機に触れてきた。成長してそのまま同じ道に進み、"文林堂"を立ち上げる。その後、事業は拡大し、一時は30人近くのスタッフを雇っていたが、バブル崩壊にあわせるように印刷業は衰退。従業員も離れ、事業の将来を思案していた時に、ふと思い出したのが古い印刷機。山田さんは、放置されていた活版印刷機を整備し、一度は手放した活字や部品を全国から少しずつ集めて、活版印刷職人として再スタートを切った。プリンターならあっという間に印刷できてしまう物も、一枚一枚丁寧に手作業で刷っていく。仕上がった印刷は、何とも言えない温かい味わいが魅力だ。「おもしろいですよ。お客さんと一緒に遊んでいるうちに良い物が出来上がる」と山田さんは笑う。 山田さんが愛用するのは、150年物の「アルビオン型手引き印刷機」。山田さんの父が、終戦後に熊本の工場にあった中古品を購入した。大切にメンテナンスし続け今も現役で動く。山田さんの技術を学びたいと若者たちが店に集まる。味のある印刷に、そして山田さんの優しい人柄に心奪われる。しかし、後継者のいない山田さんには不安があった。この先いつまで仕事を続けていけるのか、店はどうなる?この技術はどうなる?店を畳むことも考えた。そんなとき、それまでも取引のあった最先端のデザインを発信する福岡の文具メーカー「ハイタイド」社長・竹野潤介さん(45)が一緒にやりましょうと手を挙げた。業務提携を結び、文具店として生まれ変わり同時に活版印刷の魅力をもっと発信してくことを約束した。 5年前、最愛の妻であり仕事のパートナーであった妻を亡くし、一度はやめる決意もした印刷業。 しかし、山田さんを慕う若者たちに支えられ、山田さんは80代にして新しいスタートを切った。そして大きなチャレンジにも挑んでいる。山田さんにとって特別な本、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を全編活版印刷で作りあげるという大プロジェクトだ。膨大な活字をどうそろえるのか、たった一人で印刷を仕上げる体力は?周りの心配をよそに、走りだした山田さんは止まらない。 「活字や印刷機が博物館に展示されてしまうのだけは嫌。実際に活字を使って作り出す喜びを身をもって伝えたい」。山田さんは体が動かなくなるまで、印刷を続ける覚悟だ。
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