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東京には江戸時代から続く老舗が数多く存在いたします。江戸時代から続くお蕎麦屋さん、鰻屋さん、呉服屋さん、そして今回お話を伺った「フクシマ質店」はなんと元禄2年(1689年)創業。元禄です。確か、「見返り美人」とかが描かれた時代です。いつだって「日本史B」の薫りがする『東京閾値』でございます。例えば江戸時代より続く鰻屋さんであれば、味を守るためにタレを継ぎ足し、継ぎ足しするものでして、先日お世話になった「和竿専門店東作本店」さんも、江戸伝統技術を継承されておられました。入れ替わりが激しい「江戸=東京」だからこそ「変わらない」ことに大きな価値が生まれます。一方、「質店」は色々と変わらなくてはなりません。人々から「質草」を預かり、それを担保にお金を貸し付ける業態自体に変わりはありませんが、その「質草」は常に流動的。時には他人の手に渡ることもあります。間違っても三百年以上、蔵の中にG-SHOCKを保管してはなりませんし、それは寺門ジモン氏の仕事です。質草の種類だって変わります。江戸期は衣類が主だったものでありましたが、今は貴金属類が殆どです。都度、その品物の良し悪しや真贋を見極める審美眼が必要になるわけですが、これだって代々の「伝統技術」があるわけでなく、その代の当主が培ってきたものなのです。今回、お話を聞かせていただいた福島さんは10代目でいらっしゃいますが、そうした意味では10人目の「初代」と言えます。そんな福島さんから溢れた「両国という町は変わらない。本格的な再開発が何もない」という言葉は、私たちの肝臓を殴ります。「再開発」という単語はわかりませんが、だいたい「住民税」くらい嫌われている単語のように思っておりましたが、決して一枚岩ではありませんでした。新たな人流を産むためであれば、変化も必要という声も当然あるのです。それこそが今回浮かび上がった東京閾値。ラジオ番組も同じです。変わりゆくものなのです。ちょうど「質流れ」の期限と同じく、三ヶ月間が「1クール」という一つの区切りなのです。番組を継続するためには、自由に使える製作費を捻出しなくてはなりません。ここは筆者自身を質草としてフクシマ質店さんに預け入れ、そこで得たお金で松重ディレクターに渡して番組を作ってもらい、3ヶ月後に松重が迎えにきてくれることを、蔵の中で震えて待つことにしましょう。松重が来なかった場合、筆者が11代目を継がせて頂きたい所存。文責:洛田二十日(スタッフ)
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東京閾値