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2025年7月17日(木)琉球新報の記事から紹介します。担当は上地和夫さんです。沖縄戦後の住宅復興に欠かせない資材だった「セメント瓦」。かつては県内各地に工場がありましたが、現存しているのは名護市の1カ所だけです。セメント瓦の文化を後世へ伝えようと、名護博物館学芸員の田仲康嗣(たなかやすい)さんは、県内各地の特徴的な瓦をイラストで描き、デザインを研究し、16日から、180点のイラストを展示する個展を名護博物館で開いています。セメント瓦は1935年、県内で初めて名護市の住宅に導入されたとされ、戦後、アメリカ政府は占領地域救済政府資金で工場の規模に応じて製造枚数を割り当てて、事業者を支援したということです。そうして造られたセメント瓦は「復興瓦」と呼ばれ、需要が増加し、工場が県内全域へと広がりました。セメント瓦屋根の棟の端にある「花瓦」はアルファベットにトランプのマーク、漢字や片仮名など、工場や製造時期の違いによってデザインが異なり、細かなバリエーションもあります。コンクリート住宅が主流となるに連れてセメント瓦の工場は姿を消し、作り手の情報を得ることが難しくなっていますが、田仲さんは「デザインから『職人のちょっとした美意識』を知ることができる」と話し、花瓦を学術的な研究にもつなげたいと話しています。(了)
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