校歌の窓から校歌の窓から

校歌の窓から

MBCラジオ

MBCラジオ『たんぽぽ倶楽部』で、毎週月曜日11:40から放送されている「校歌の窓から」。校歌は、地域の自然や歴史が表現された歌詞と大切な節目に歌ってきたメロディで、あの日の記憶を呼び起こす心の原風景です。校歌を様々な切り口で紐解きながら、ちいきの絆やつながりを再確認します。🔻MBCラジオ『たんぽぽ倶楽部』https://www.mbc.co.jp/radio/popo/🔻2026年MBC年間放送テーマ「ちいきのチカラ」https://www.mbc.co.jp/chiiki-no-chikara/過疎・高齢化、そして少子化が進み、どこか閉塞感が漂う日本――しかし鹿児島の「ちいき」には新しい技術や海外への挑戦で、ふるさと再生に奮闘する人たちがいます。そして受け継がれる地域の「絆」――それは人々を支えるチカラとなり、新たな「つながり」を生み出します。MBCでは2026年、新たな取り組み「ちいきのチカラ」をスタートします。各地の先駆的な動きに光を当てながら可能性を掘り起こし、未来を拓くヒントを探ります。

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エピソード

#34 鹿児島市立田上小学校(8/31放送)

#34 鹿児島市立田上小学校(8/31放送)

#33 鹿児島市立武岡小学校(8/24放送)

#33 鹿児島市立武岡小学校(8/24放送)

#33 鹿児島市立武岡小学校(8/24放送)

『MBCは今年、ふるさとを元気にしたり、絆を深めるさまざまな動きを「ちいきのチカラ」と題してテレビ・ラジオ・インターネットでお伝えしています。たんぽぽ倶楽部では、毎週この時間に、学校の校歌が持つチカラを改めて感じてみようと「校歌の窓から」をお送りしています。今回は、鹿児島市立武岡小学校です。標高107メートルの高台に立つ武岡小学校は、1976(昭和51)年に西田、原良、田上の3つの小学校から分離して開校しました。かつて、島津公の参勤交代の道筋だった水上坂を上った所から南東にゆるやかに傾斜した丘陵が校区となっています。1980年代は児童数2000人を超えるマンモス校でしたが、89年に武岡台小と分かれた後は年々減り続け、現在は226人の子どもたちが学校生活を送っています。武岡小学校の校歌は、開校翌年の1977年9月に制定されました。作詞は市町村歌や校歌を多数書いた内与詩守(うち・よしもり)さん。校歌1番と2番はよく学び元気に育つ姿、3番は参勤交代に使われた水上坂に思いをはせ、未来を切り開くのは自分たちと歌い上げています。子どもたち、地域の方々に校歌への思いを聞きました。

8分

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#29 鹿児島市立谷山小学校(7/27放送)

#29 鹿児島市立谷山小学校(7/27放送)

#28 さつま町立盈進(えいしん)小学校(7/20放送)

#28 さつま町立盈進(えいしん)小学校(7/20放送)

#28 さつま町立盈進(えいしん)小学校(7/20放送)

『MBCは今年、ふるさとを元気にしたり、絆を深めるさまざまな動きを「ちいきのチカラ」と題してテレビ・ラジオ・インターネットでお伝えしています。たんぽぽ倶楽部では、毎週この時間に、学校の校歌が持つチカラを改めて感じてみようと「校歌の窓から」をお送りしています。28校目は、さつま町立盈進(えいしん)小学校です。えいしん小学校は、さつま町の中心部に位置し、創立168年を迎える県内で最も古い学校です。1858年に宮之城島津家15代当主・島津久治(ひさはる)が今の場所に建てた「盈進館」に始まり、学校名は中国の孟子の教えで校歌の歌詞にも登場する「盈(みた)して進む」に由来しています。養蚕が盛んな地域だったため、校章にはクワの葉やカイコの繭(まゆ)が描かれています。校庭には、センダンとクスノキの木が2本あり、盈進小学校の歴史をずっと見守ってきました。学校のみならず、町内のシンボルツリーとなっています。校歌の作詞は馬場徹さん。作曲は、鹿児島の音楽界の発展に貢献したピアニストの武田恵喜秀さんが担いました。校歌冒頭の「紫尾山に湧き立つ」や3番の「轟のしぶき」など、歌詞には校区内の景勝地が刻まれ、自然豊かな地域を連想させます。また、1番・2番・3番の歌詞の最後は「盈進」の名をリズムよく3回繰り返しているのも特徴的です。子どもたちや卒業生に校歌への思いを聞きました。

7分

7分

#27 鹿児島市立伊敷台小学校(7/13放送)

#27 鹿児島市立伊敷台小学校(7/13放送)

#27 鹿児島市立伊敷台小学校(7/13放送)

『MBCは今年、ふるさとを元気にしたり、絆を深めるさまざまな動きを「ちいきのチカラ」と題してテレビ・ラジオ・インターネットでお伝えしています。たんぽぽ倶楽部では、毎週この時間に、学校の校歌が持つチカラを改めて感じてみようと「校歌の窓から」をお送りしています。27校目は、鹿児島市立伊敷台小学校です。伊敷台小学校は1993年、鹿児島市の大型団地・伊敷ニュータウンに整備され、坂元小学校と玉江小学校、伊敷小学校から子どもたちが編入してきました。今年で創立33年、全校児童は、402名。校舎は、各階の中央に様々な活動ができるように広いピロティがあり、図書室は、2教室分の広さに加え、2階分の吹き抜けとなっています。校歌は、学校が開校した後に当時の先生方が力を合わせて作り上げました。子どもたちが語り合うような校歌であってほしいと、二部合唱に仕立て、歌詞にある「ゆめのさと」は、団地で育つ子どもたちにとって、いつまでも夢を育む場所であってほしいという願いが込められています。さらに、校歌を使った「全校ダンス」もあり、理科専科の先生がテクノ調にアレンジした校歌を今でも運動会で披露するそうです。子どもたち、先生に校歌への思いを聞きました。

7分

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#25 姶良市立重富小学校(6/29放送)

#25 姶良市立重富小学校(6/29放送)

#24 鹿児島市立西田小学校(6/22放送)

#24 鹿児島市立西田小学校(6/22放送)

#24 鹿児島市立西田小学校(6/22放送)

『MBCは今年、ふるさとを元気にしたり、絆を深めるさまざまな動きを「ちいきのチカラ」と題してテレビ・ラジオ・インターネットでお伝えしています。たんぽぽ倶楽部では、毎週この時間に、学校の校歌が持つチカラを改めて感じてみようと「校歌の窓から」をお送りしています。今日は、鹿児島市立西田小学校です。鹿児島市西田にある西田小学校は、明治8年に、西郷南洲翁が揮毫した「武小学」の門札を掲げ、鹿児島市常盤町の笑岳寺跡に創設されました。その後、2回の移転を経て、創立151年の歴史と伝統を積み重ねています。校訓は、「強く正しく うるわしく」。児童会めあて「分かち合い 笑顔あふれる 西田っ子」のもと全校児童549名の子どもたちが学校生活を送っています。校歌1番の「南洲翁」は西郷隆盛のこと。そして、2番の「敦子(あつこ)の刀自(とじ)」・税所敦子(さいしょ あつこ)は、宮中に仕え「明治の紫式部」と称された京都出身の歌人です。税所敦子は、亡き夫の故郷・鹿児島市西田町に10年ほど住み、姑らに尽くした才徳兼備の人だったそうです。校歌の作詞 救仁郷断二(くにごう だんじ)さんは、元大崎町長で、1920年から40年まで西田尋常小に勤務していました。子どもたちに校歌への思いを聞きました。

7分

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#22 鹿児島市立吉野中学校(6/8放送)

#22 鹿児島市立吉野中学校(6/8放送)

#22 鹿児島市立吉野中学校(6/8放送)

『MBCは今年、ふるさとを元気にしたり、絆を深めるさまざまな動きを「ちいきのチカラ」と題してテレビ・ラジオ・インターネットでお伝えしています。たんぽぽ倶楽部では、毎週この時間に、学校の校歌が持つチカラを改めて感じてみようと「校歌の窓から」をお送りしています。今日は、鹿児島市立吉野中学校です。鹿児島市吉野町にある吉野中学校は、鹿児島市立第一中学校として昭和22年に創設されました。県内の中学校の中でも生徒数の多い学校として知られ、今年度は938名の生徒が学校生活を送っています。校訓は「自主」「気魄」「創造」、「やればできる」吉野中学校の校歌は、昭和28年につくられました。作詞・作曲は、喜界町出身の民謡研究家・音楽教師の久保けんおさん。鹿児島の歌として有名な茶わんむしの歌や薩摩兵児謡(へこうた)なども久保さんによって発掘収集されたものです。歌詞を見ると、「桜島」「霧島」「開聞」の3カ所を一望できるとした、学校がすばらしいロケーションにあることを歌っています。また1番の歌詞の「青空に一番近い」「この美しい国」といったフレーズや、3番の歌詞「寺山に偉人の跡」といった吉野開墾社のこと、そして西郷隆盛のゆかりの地について盛り込まれるなど、吉野の自然豊かで歴史的なことも歌われています。今年創立80年を迎える吉野中学校。これからの吉野中学校、そして吉野地域について聞きました。

9分

9分

#20 阿久根市立脇本小学校(5/25放送)

#20 阿久根市立脇本小学校(5/25放送)

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